平成十九年七月十九日。曇り。予報では晴天のはずであったが…
友人と二人で四万十町大正の下津井で世にも奇妙な山名をもつ「長老帰り」(ちょうろうがえり、五二七・九㍍)を目指す。併せて北隣りの「竹ノ地」(たけのぢ、三八一・八㍍)にも登る。何れも昭和五十九年に選点された四等三角点がある。この「長老帰り」は数年前にその存在を知ってから登頂の機会を窺っていたのであるが、情報が乏しく遠隔地なのでついつい躊躇っていたのである。この度、偶々登頂の機会を得た。
詳 細 登 山 地 図 |
この日、六時五十五分に高知市を出発。七時十一分に高速道に入り、同三十八分に須崎東IC着(四〇・二㌔)。ここから国道五六号線に入り、八時五分に七子峠(六一・七㌔)、同二十四分に窪川で国道三八一号線に乗り換え(七三・七㌔)、同四十六分に国道四三九号線に入る(九六・四㌔)。ここから北進して目指す下津井がもう間近いと思ったころ、道路工事のため運悪く二十四分待ち、ところが、さらに進んでいると、またもや九分の通行止を喰らった。こんなことなら須崎から檮原町新田経由で南下するルートを採るのだったと悔しがったが、後の祭り、しかし帰りは当然このルートを採用した。
十時丁度、下津井の登山口着(一一九・四㌔、標高二四〇㍍)。通行止の待ち時間を差し引くと二時間三十二分を要したことになる。登山口は、梼原川に架かる下津井橋から東に一〇〇㍍位戻った所にあり、地元の方の広場に駐車させてもらった。この方は山名の由来をご存知なかったが、昔話に詳しい長老の住所を教えてくれた。下津井橋、梼原川や周囲の小山が織りなす景色が美しい。川下に津賀発電所下道堰堤があるので、この川は満々とした紺青の清水を湛えている。
十時十二分、登山開始。登山口は大きなビワの木が目印である。登山道は幅員が一・二㍍位で山頂近くまでよく整備されており、歩き易い。こんな道はまずお目にかかったことがないくらいのもので、荒れ道を覚悟していたのに思いがけもないことであった。同三十五分、南北に連なる尾根道に飛び上がる(三六〇㍍)。ここは三叉路で道のど真ん中に松の倒木がある。右に採ると「竹ノ地」、左は「長老帰り」である。まずは左に進むが、同四十六分、今まで尾根の西側を通っていたのが、ここから明るい東側を進むようになる。同五十七分に送電鉄塔直下を通過(四一〇㍍)。
十一時一分、一面の赤松の純林に来る。このような光景は今まで見たことがない。しかもここの赤松は周囲の他の樹と競合するせいか、横枝も出さず天空に向けて精一杯聳え立っており、その樹高は二〇~三〇㍍で壮観の一言に尽きる。ここら付近から山頂まで赤松が各所に群生しており、松茸の保護のためかこれも各所で網やテープで登山道と隔絶させ出入り禁止の木札がぶら下がっている。所々にサマツ(早松)のような茸が首を出している。十一時十六分、左が檜の植林、右が自然林となったがやはり赤松が優勢である。松くい虫の被害を受けた樹は皆無のように思われた。
十一時二十五分に三叉路に来る。山頂が近いことが判る。右の道はすぐ消える。左の道は北東の峰続きの尾根である。そこで再び三叉路に戻り、中央の道のない尾根を直登する。同四十分、山頂らしい所へ来た。付近を掻き分けていると、深く埋設された四等三角点の柱石があった。駐車地から一時間二十八分を要した。直ちに柱石付近の清掃をする。松の子生えが多く潅木や雑草を引き抜いたので、ようやく山頂らしい体裁を整えることができた。ここへ来た人は殆どいないように思われた。展望は全く利かない。この付近も赤松が多い。「長老帰り」を示唆するものはなにもない。
十二時二十五分、下山開始。北東の峰続きの山へ立ち寄ってみたが、ここも赤松の密集林である。同三十五分、三叉路に戻り気持のよいゆったりとした登山道を下る。十三時十二分、尾根の三叉路に着いたが、山頂から約四十分を要した。
ここから「竹ノ地」(三八一・八㍍)に向う。十三時十四分、三叉路を北西(右)に進み、直ぐ右の尾根に乗り上がり、道のない藪を直登する。同三十分、こんもりした丸い山頂らしい所へ来たので、ウラジロの繁みを掻き分けていると、朽ちた赤白の直ポールが転がっており、ここも深く埋設された四等三角点の柱石(昭和五十九年選点)が現れた。三叉路から十六分を要した。
早速、周囲の清掃をする。ここも赤松が多く、これにテープが巻かれている状態からしてここ数年来、人が入った気配がないように思えた。三角点から三㍍位離れた所に標示杭が転がっていた。これも腐り果てていたが、昭和五十九年という字句だけが鮮明に残っていた。展望は全く利かない。十三時四十五分に下山を開始して十四時五分に尾根の三叉路、同三十一分に駐車地に着いた。
さて、最後の宿題である「長老帰り」の由来を聞くため、地元の長老の自宅を訪ねたが不在で、近くで野良仕事をしていた長老の方に話しを聞いた。「昔、下津井の寺に長老と呼ばれた僧侶がいたが、事情があってこの土地を離れなければならなくなり、山越えの山頂から懐かしくも美しい古里を見て、矢も盾もたまらず引き返した」という言い伝えによるという。
下津井橋を渡って西に行き直ぐに右折して進んで行くと、「めがね橋」がある。ここから見る景色は、まさに一幅の絵画、風光明媚の地といえる。また、ここらは蛍の里でもあり、見頃は五月中旬~六月下旬で、六月上旬にはホタルはゲンジボタルだが「平家の里ホタルまつり」が開催されている。
帰りは、道路工事の時間待ちを避けて、北方に進み、檮原町新田から須崎市へ入るルートを採った、自宅まで一一一・二㌔だった。南から入る窪川町経由のルートより短いが、道路の状態は窪川からの方が少しよいか。
(平成十九年七月記)