平成二十年四月十五日。快晴。
この日、友人と二人で、先ず香美市土佐山田町入野の「寅ヶ谷山」に登った後、すぐ北の根曳峠西方の「北滝本山」(五六八・七五㍍・三等三角点・点名は北滝本)の登山ルートの探索に向った。
詳 細 登 山 地 図 |
十五時三十分、国道三二号線を北上、根曳峠(四二二㍍)を過ぎて直ぐ左に入り一車線の舗装道をゆっくり進みながら登山口を探す。この付近に北滝本山への明確な登山道が二ヵ所あるのを確認した(標高・三九〇㍍位)。ここから南西に進み稜線に乗って西方を辿れば山頂に行くはずである。
以上のことを確認してから、今度は根曳峠を南下して二〇〇㍍進んで左折した所の右側にあるはずの作業道を探す。地図を見ると、ここから作業道が北滝本山の直下まで延びているので、この方が断然楽である。しかしこの入口に相当する所は大きい家屋と広い庭があって作業道が見えない。あちこちを探し廻るがどうしても見当たらないのである。人家の方を見ると年配の人が庭でなにか作業をしている。犬が二匹吠え立てている。これは聞くのが早いと思って声を掛けた。
「この地図で見ると、ここに作業道がなければならないと思うが……」
と地図を突き出して聞いた。そうすると、なんでそんな質問をするのかという顔をしたので、
「いや、この上の北滝本という三角点がある山に登りたいのだ」というと、
「その山へなぜ登るのだ?」と聞いてきた。
「登るのが趣味なのだ」
というと、訝しそうに人の顔を覗き込んだ。
フト、左奥を見ると―――家の左横に広い舗装道が見えたので、
「あの道が、地図の道ではないか」
と再び地図を鼻先に突き出した。
「……そうだ。この道は私道で昔に県単独事業を導入して造ったものだ」
「この道を行くと、その山の直下に通じているのではないか」
「ここからよりも北滝本の登山口から行くのがよい」と話をそらす。
「それは先程見てきたが、この地図で見る限り、こちらの方が近いようだ。この作業道は一体どこまで続いているのか」
「あちこちかなり上空まで延びている」
「頂上直下まで車で行き、そこから登ることはできないのか」
と聞くと、少し考える風であったが―――
「そんなら行ってみるかね。ここから三〇〇㍍行くと舗装がなくなるが、そのまま進むとコンクリートを打った所があるので、そこから頂上を向けて真っ直ぐ登ればよい」
と、ようやく通行許可がおりた。
詳 細 登 山 地 図 |
十五時五十分と遅くなったが、許可を貰った手前、強行せざるをえなくなった。日没は十八時三十五分だからまだ二時間四十五分ある。早速出発(ここの標高は三九七㍍)。
同五十九分、話し通り舗装が切れてそのまま進むが、六〇〇㍍行った所で道が荒れてきて乗用車での進行は困難と判断して広場に駐車し、ここから歩くことにした。
もともと道がよくないので、速度はそんなに変りはしない。直ちに荒れた作業道をどんどん進んでいくが、周囲は一面の植林で所々で間伐と枝打ちがされている。三叉路があるが、右の道を採る。ここから目指す山が見える。道中に展望が開ける処がある。
教えてくれたコンクリートを打った所を探しながらなおも進んでいたが、道が降り気味になっていくので、取って返しながら注意深く観察をしていくと、三段に石を埋め込んだようないかにも登山口らしい所へ来た(標高五三〇㍍)。このような時の直感は不思議に当たるものである。「コンクリートを打った所」は別の場所にあるに違いないと思ったが、もう時間がない。
十六時三十分、ここから大薮のきつい直登にはいる。周囲は自然林でやがて岩場にぶっつかった。山桜が満開になっている。
右に迂回し、前方上に透けて見える所を目指して攀じ登っていると、突然上空が開けて飛び上がり真正面に三角点があった。好運だったというべきであろうか!? 十六時四十四分、民家から五十四分を要した。
頂上の北は植林、南は自然林。日は傾き、暮色が忍び寄っている。眺望は全く利かない。三角点付近は東西一四㍍、南北七㍍位の矩形の広場になっている。東の方になぜか黄色の標柱があり、この方向に道筋が見える。これは探索をした北滝本の登山口に通じているものと思われた。
あまり時間も残っていないので、十六時五十七分、慌ただしく下山開始。
延々と作業道を歩くが、三叉路で道を間違えたりして、ここの作業道はかなり輻輳して迷い易い。十七時四十四分、駐車地着。頂上から四十七分を要した。この辺りにも猪が跋扈しかなり退治したものと見え、供養する御影石様の石塔とは珍しい。
作業道の歩行は三十七分である。同五十二分、駐車地を出発して十八時丁度民家の庭に着いた。もう薄暗い。挨拶をしようと声を掛けたが誰もいないようなので、『頂上へ行って来ました』と書いたメモを郵便箱に入れて置いた。きっと「物好きな奴らだ」と思うに違いない。犬が少し吠えていたが諦めたのか黙ってしまった。
この山には初めは登るつもりはなく、探索するだけと考えていたのが、妙な行き掛かりから登頂してしまった。なんとなく得をしたような気分になったが、このような風変わりなきっかけによる山登りもあったのである。