平成十八年九月二十九日、曇り時々晴。
友人と二人で、土豫国境、本川村の東光森山(一四八六・一㍍)を目指す。西に三ツ森山があるので、この山は、東三ツ森山であらねばならないと思ったが?
詳 細 登 山 地 図 |
八時二十四分、高知市出発。高速道に入り、大豊ICから国道四三九号線を進む。土佐町から県道二六五号線に入り、南越トンネルを抜けて上吉野川橋を渡り、早明浦ダム北岸を西に走る。大川村役場を過ぎて直ぐ右に県道六号線を進み、十時五分、大座礼山・東光森山への分岐、同三十分、太田尾越の東光森山登山口(一一一三㍍)着、二時間六分を要した(八〇・四㌔)。
十時四十分、登山開始。いきなりの急登である。前途多難を思わせる。途中、最初の県境標識杭「五二」があるが、これは山頂近くの「一四七」まで延々として九六本も打ち込まれている(以下、「番号」を書く)。字が擦れているのでかなり古いものであろう。
同二十分、岩場を左に迂回する危険な痩せ道を通過するが、左側は奈落の底のように垂直に谷が落ち込んでいる。これは余り見ない方がよい。岩場の上は展望がよく南に大座礼山がどっしりと大きく迫って来る。
同二十九分、一二七〇㍍のピーク、微かに見える「補點」(仮に名付ければ、「中光森山」)と彫り込まれた大きい石柱が埋設されている「七三」。ここからアップダウンの道が続く。頂上まで殆ど自然林であり快適な道中である。クマザサも現れる。道中を通して、アサマリンドウ、アキノキリンソウが咲き乱れている。
十二時五分、急降下して行く。同十一分、一二一〇㍍の鞍部に来る。ここが道中の中で最も低い地点「一〇八」であり、東には東光森山、振り返って西には一二七〇㍍のピークが見える。小休止の後、同二十四分、巨大な桧に出会う。
ここで急降下するが、十二時三十四分、ここからいよいよ厳しい登りに入る「一四六」。標高差二七六㍍の直登である。道は広くよく整備されているが、四五度位の急坂だから木に掴まり、木の根に獅噛み付き、這いながら攀じ登る。これでもか、これでもかと言う感じで情け容赦がない「一四七」。 |
その内に道が次第に明るくなり、左に巻くように登り切ると三等三角点の山頂である。十三時三十八分、なんと二時間五十八分を要した。通常の登頂時間は一時間三十分~二時間とされる。やはり急登に差し掛かった所から一時間を要したのが影響したのか?もっとも、われわれの登山はいろいろと道草が多いので、消費時間は余り当てにならない。
頂上は半径三㍍位の円形で岩がごろごろしており、立札が二か所ある。南西に大座礼山、北西の樹間から赤石山系が霞んで見える。頂上から東に通じる道があるので少し歩いてみたが、背丈位のササの藪漕ぎで向うにピークが見える。ここらあたりの道中には白いツツジが多いという。
これをさらに進むと、大川村水谷から伊豫別子を繋ぐ「大野越し」(一三二〇㍍)という峠があるが、昔の面影を留めないほど荒れているらしい。ここには地蔵様が二基鎮座しているというが、かなりの健脚でもここまでは無理であると思われる。
十四時二十六分、下山開始。急降下の道に注意しながら下る。登りより降りが厳しいと思っていたが、意外にも登りの方が厳しく感じるのである。これは道に小岩の段差があること、露出した木の根っ子が滑り止めになっていることや、道横の潅木に掴まったりして降りることができたがためである。
十六時十分、「補點」のあるピーク、十七時十分、登山口着。二時間四十一分を要したが、途中の道草を差し引けば二時間位であろう。
十七時十五分、登山口を車で出発。往路と同じ道を通って、十九時十四分に自宅着。
(平成十八年十月記)