平成十八年七月三日、曇り後晴れ。
友人と二人で、愛媛県柳谷村の奇妙で妖しげな名前をもつ「ウバホト山」(一四八八㍍)を探るため登頂を目指す。併せて、「大川嶺」(一五二五㍍)、「笠取山」(一五六二㍍)、「岩場のあるピーク」(一五四〇㍍)に寄り道をした。
詳 細 登 山 地 図 |
八時五十五分高知市を出発。国道三三号線に入り、伊野町まで二十六分(十・一㌔)、以下、佐川町四十五分(二十五・六㌔)、越知町五十五分(三十一・八㌔)、大崎一時間八分(四三・九㌔)、引地橋一時間十一分(四十六・一㌔)、県境一時間十八分(五十九・八㌔)、落出一時間二十六分(六十六・八㌔)、ここで左折し国道四四〇号線に入り、「大川嶺・檮原町分岐」一時間五十七分(七十六・九㌔)、ここから県道三二八線に乗り換え「大川嶺・御三戸分岐」(標高、一五〇五㍍)まで二時間四十分(九十九・一㌔)を要し、十一時三十五分着。
ここから舗装された町道笠取線に入るが、直ぐに立札があって「路肩崩壊のための工事で通行禁止」になっていた。そこで少し戻った道路の脇に車を置き、ここから徒歩で進むことにする。
ウバホト山へ向う前に、大川嶺、笠取山、岩場のあるピークに立ち寄ったが、これらの山についての記述は省略する。この付近は「四国カルスト県立自然公園」に指定されているところで、緩やかで優しい草原と全角の展望の山が連なり、かつては農林水産省の補助を受けた放牧場でもあった。至るところにノアザミが群生し棘が脚を刺す。五月にはミヤマツツジ、コメツツジの大群落が咲きほこり、多くの花見客が訪れる。
ウバホト山への登山口(一五〇八㍍)は、町道笠取線が笠取山南麓のグニャリと曲がった所の左側にある。十三時三十二分というやや遅い出発となった。
登山口からは、歩き易い草原をしばらく下降するが、ここら辺りからはウバホト山の山頂付近とかすかな踏み跡のある尾根筋が望見される。そして尾根筋の北側は樹林地帯、南側は主としてクマザサの草原地帯と明確に植生が区分されているところが特徴的で面白い。登山道は山頂に至るまではっきりしたものはなく、所々クマザサの葉が擦れて白く千切れていることで判別できる程のものである。しかし人が通った形跡は殆どない。ただ、この尾根筋は前述したように、北面が樹林、南面が草原となっているので、方向が間違うことはないので気が楽である。東には、アンテナが屹立する中津明神山(直線距離で一二㌔)が見える。
しばらくは、カヤ、ノアザミ等が生息している所を進むが、八分も歩くとクマザサが膝上にまで達して歩き難くなる。所々に放牧用の柵の鉄杭が打込まれているが、有刺鉄線は張られていない。鉄板の上に矩形の容器の水飲み場が残されている。鉄板の下は貯水槽になっているらしい。
二十分歩くと、山頂が見えなくなる。鞍部に来たようだ。しかし八分後には再び山頂が見える。振り返ると大川嶺、笠取山、岩場のあるピークの美しい山容が望見され、南東には、まるで雪を冠って航空母艦のような鳥形山(直線距離で一六㌔)や鋭い三角錐のような形をした三方山が望見される。
その四分後、右側に沼地のように中央が凹部になった草原があったが、これは一体何だろうかと考えてみたが判らない。次第にクマザサが深くなり、遂には肩にまで達する高さになった。息が荒くなる。
三十九分後、右側に再び前より大きい凹地があった。この後、傾斜がきつくなり小潅木が歩行の邪魔をする。跨いで通過したことも幾度かあった。この付近にも道はないので見当を付けて闇雲に登るだけである。
四十七分後、膝の高さのクマザサの広場に着く。ここは北側を除いて三方に視界が開けている。東にはウバホト山の山頂付近、南面には四国カルストのなだらかな稜線(直線距離で一一㌔)が見える。眼を凝らすと、二台の風力発電機が白く輝いており、右側のそれは三枚の羽根がゆっくりと回転しているのが見える。
西には大川嶺、笠取山。北面は一転してはっと息を呑む見事なブナの原生林で、その尊厳のある佇まいに感動する。ここでしばらく休憩してこれらの景色をただ呆然として眺めた。ここから三分行くと、南面がクマザサの急斜面になって、どこまでも滑り落ちていくような光り輝く美しい草原となっていた。
またまた腰より高いクマザサの中を進む。左に露岩があってその上が山頂に近いと思ったが、なお少し様子を見ながら南面の緩い斜面をトラバースしながら進むが、そこには岩場があってベニドウダンツツジの群落があり、まだ花が残っている株もあった。
やがて、ここら辺の上方が頂上であろうと見当を付けてクマザサを掻き分けながら直登していると、突然、山頂らしい所に飛び出した。十四時四十二分、登山口から一時間二十分を要した。ここは直径六㍍、三〇平方メートルほどの円形の深いクマザサが生い茂っており、周囲は樹林に取り囲まれて、南面にだけ展望が開け、四国カルストの連峰が見える。中央部を掻き分けていると果たして石柱が現れた。松山営林署が埋設した図根点(一四八八㍍)であり、この付近ではここが一番高い所である。持参の鎌で周りのクマザサを刈り込んだ。
なぜ営林署は図根点を埋設したのであろうか。ここは、尾根から北が国有林、南が民有林となっているのでその境界を明確にしたものと思われる。
ところでこの山の四等三角点の所在は、図根点から南東に五十㍍下がり、露岩がある所からさらに十㍍行った所にある。標高は一四八一・七㍍で図根点に比べて六㍍ほど低い。国土地理院の選点時期は昭和四十六年と遅く、図根点の方が古いものと推定される。われわれは勝手に、図根点を山頂と決めた。なぜなら、図根点の方が高く、三角点の方は「…らしくない」からである。
十五時五分、下山開始。往路の踏み跡を辿りながら歩くが、いつの間にか道なき道に入り込むので時々修正しながら進む。北側の樹林が見えなくなって、しばらく進むと十六時十五分、登山口に到着。一時間十分を要した。
休憩後、十六時二十分町道を歩いて駐車地に急ぐ。同三十分、突然、上から下へ下から上へガスが流れ始めて視界が五十㍍位になった。高山特有の急激な気象変化である。三十五分歩いて十六時五十五分駐車地に着く。
十七時、帰路は往路を採らず、県道三二八号線を走り御三戸に降りるコースを採る。十七時二十分、美川スキー場に寄ってみる。当然のことながら誰もいないし建物も門戸を固く閉ざしている。
ここからは殆どが二車線となりよく整備されている。同四十三分、御三戸着。ここから国道三三号線で一路高知市に向って走る。十九時二十五分着。
「ウバホト山」という奇妙で妖しい名前の由来を探るため、道のない笹漕ぎの歩きだった。ウバホトという名称は、所在地名に由来しており、それは「愛媛県上浮穴郡柳谷村大字西谷字ウバホト(ウバホドではない)乙二九五の二二」からきている。点名は「伊豆ケ谷」(いづがたに)である。山名に漢字を当てれば「姥陰山」であろう。その根拠といえば、上の文章の中にある複数のヒントに見えていると思う。しかし何れに根拠を求めていいかは判らない。また国土地理院は点の記では、ウバホトとしているにも拘わらず、地図ではウバホドとしているのは自己矛盾というしかない。
(平成十八年七月記)