昔から土佐には、勝賀瀬山の赤頭、本山の白蛇、山北の笑男という三つの怪物がある。記録によれば「昔土佐郡鏡村的淵猟師福次という者が雪光山(国見山)の続き山で据え銃をかけありしに夜半銃声響き明方その所に血痕あり、これをたどりゆくに勝賀瀬の山奥にて髯茫々と生え延びたる大の山男倒れ居たりと書き伝えたり」とある。このコースは旧鏡村と旧伊野町を峠越えで延々一〇㌔は走らなければならず、手傷を負っての走行はやっぱり山男でなければできない荒芸であると思う。この怪物の拠って来たる由来は、当サイトの「土佐の怪奇譚」の「山男山女」と末尾の「参考・勝賀瀬山の山姥」を参考にされたい。
現在のいの町勝賀瀬には以上のような怪物伝説があるので有名だが、では一体勝賀瀬山はどこにあるのか?しかし伝説でいう勝賀瀬山というものは実在しないのである。勝賀瀬といわれる一帯は面積も広く、標高九一〇㍍の鷹羽ケ森を盟主として、景勝中追渓谷がある勝賀瀬川の両側に聳える山塊があり、川の上流を遡れば今は廃棄されている「樫ケ峠」を越えて旧吾北村思地に至る要路も存在していたのである。これらの怪物はこの辺一帯に住む山男山女だったに違いない。
詳 細 登 山 地 図 |
勝賀瀬山は、鷹羽ケ森の真東の勝賀瀬川が東折する所にある橋床集落の西を走る林道から北東に登った所にある、標高六一七・九八㍍の山である。平成十三年に選点された新しい怪山である。この山に登るのには汗かき話があるがこれは割愛し、早速、本題に入る。
平成二十年七月六日(日)、朝曇り後晴れ。暑い。
九時十三分、高知市の自宅を友人と二人で出発。同四十三分、国道三三号線から国道一九四号に入る分岐、ここから勝賀瀬川を遡り、勝賀瀬集落で国道に別れを告げ、さらに北上する。同五十六分橋床集落着。ここから左の道をとり、同五十八分に「林道三ツ口線」に入る。
ここまで二十四㌔。ここから車の距離計を零ポイントに合わせる。一・八㌔行った所に貯木場、三・五㌔に橋と右に入る林道がある。大きく山側に回り込んだ三・七㌔の谷に「高知神橋」、三・九㌔に橋、四・六㌔にも橋、四・八㌔に「椿橋」。ここまで舗装されている。十時十五分着。二八・六㌔。ここは道がふくれて駐車でき北側に導水管の蛇口が設置されている。
石垣があり、昔は水田だったろうが見るかげもなく薮化している。その前を斜め右に通り、植林地に突っ込む。間伐された木が乱雑に倒れこんで歩き難いが、先ずは右上の支尾根に取り付くつもりで斜め上に登っていく。
同三十七分、支尾根に飛び上がった。ここも一帯が植林である。同四十三分、支尾根のかなりはっきりした本道ように見える所へ来た。道筋は北に向っている。同四十六分、本道ように見える道筋は右(東北東)の方に向っているが、これは別道と判断して真っ直ぐ北にきつい直登に入る。十一時四分、コブ、ここから植林が終わり自然林になった。
同二十二分、コブ。上空が透けて見えるが、そこへ行くと又上に山容が見える……果てしがない。ふと、ここら辺りにはシキミ(シキビ・佛前草)の植生が多いことに気が付いた。
同四十一分、尾根道に飛び上がった。左(北西)は上り、右(南東)は下りになっている。道筋ははっきりしている。
ここで一休みをして、先ずは左に行ってみたが山頂らしいものはないので引き返し、今度は右に下って行く。途中コブがあるが、わずか四分で山頂である。十二時二十四分であった。一時間五十八分を要したが、途中の探索時間等を除けば、実質一時間十九分である。
ここは七年前に三角点が埋設されてから人が入った形跡がないものと思われた。早速、清掃をする。
三角点を中心にして東西六㍍、南北八㍍の楕円形をしており、日当たりはよいが展望は殆んど利かない。チラチラと東方面が見える程度。周囲は自然林で松の古木が多く、桧がこれに続く。西方に七年前に切り倒されたと思われる松の大木が横たわっている。ここにもシキミが多い。
十三時四十四分、下山開始。十四時四十七分駐車地着。一時間三分を要した。期待していた怪物には遭えずじまい………。要所に付けた目印は四五年は持つだろう。
伝説の「勝賀瀬山の赤頭」や「勝賀瀬山山姥」と違って、今回新入りの「勝賀瀬山」の所在は点の記で明らかだが、ルートの選定が難しかった。実は、この日に先立つ六月二十三日(月)に登頂を目指したが失敗した。これについて以下述べる。
点の記では「椿橋手前一〇〇㍍」が登山口となっているので、ここから十時五十四分登り始めた。勿論道はない。十一時二十分、北北西に登る尾根道に飛び上がった。これをどんどん登っていくと十二時十九分に頂上のような所へ来たが、三角点はない。それでもあきらめずに登っていると、同三十三分岩場にぶっつかった。こうなってはもう断念するしかない。推定だが、詳細登山地図に記載したようなルートを辿ったと思う。残念だが他日を期すことにした。
時間があったので、この林道の方の探索をした。
椿橋を基点にして、西方に五〇〇㍍進んだところで舗装がなくなる。
七・七㌔走ると峠があり、これをさらに進むと南に方向が転換していく。この林道はどこまでも続いている?ようだから、ここらでひっくり返して峠まで戻り、付近の山の中を歩いてみる。やはりシキミが多かった。この間一度も他車に会わなかった。やはり勝賀瀬山は奥深く広い、重畳する山塊地帯だった。
参考 勝賀瀬山の笑い山姥
昔、伊野の勝賀瀬山に笑い山姥が居って“笑うて、笑い負けたら食われる”という噂があったそうな。
ところが、その頃、高知の城下に山田五内さんというて、化け物が好きな侍が居って、この話を聞くと、
「そりゃ面白い。ひとつわしが行って笑いくらべをしてやろう」
こう言うて出かけて行たそうな。さて、勝賀瀬山へは人があんまり行かんもんで、道らしい道がない。茅や草も背丈ぐらい伸びておるト。五内さんは、その草をかき分けかき分けしながら登って行くと、ぼっちり手ごろな岩があった。「やれやれ、ここで一休み」と、汗をふき、腰から胴乱を取り出して、煙草を吸っておったそうな。
すると腰をかけて休んでおるすぐ傍の茅の葉に、一匹のアブがとまったト。見ておると、ハハハ……と笑いだしたので、「こりゃおかしなアブだ」と思うたが、五内さんもつられて、ハハハ……と笑うたそうな。ほいたら笑うたびにアブは少しずつ大きゅうなり、それにつれて声も、だんだん大きゅうなるト。
そこで五内さんも「負けてたまるもんか」と、大きな声で笑いかえしたそうな。ところが、アブが人間ぐらいの大きさになったかと見る間に、たちまち白髪の山姥になり、大きな口をあけて、ハアハア笑うト。
そのおとろしいこというたら、さすが化け物ずきの五内さんも肝っ玉が冷えて、あとも見んと一目散に逃げ帰ったそうな。
(珍しい話不思議な話)