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山 男 山 女

山 男 山 女

本邦諸国に昔より山男また山女が居たとの伝説あり。深山幽谷で猥りに人も通はぬところ、髪をふり乱し半裸体或は木皮を纏い足は素より素足にして疾行飛ぶが如く、人に逢うとも言葉を交えず握り飯や何かをやれば喜んで食い、やがて姿を消すといふ狐狸の仕業でも無いが、まず妖怪の一部と見られている。女は又一つに山姥とも唱えらる、かかるものありやといえば余は諸国の例証又は当国の伝説によりこれありといはんとする。



山男山女といえば、人間七分化物三分、要するに矢張り純然たる人間にして天狗幽霊の如き人間外の妖怪でない、此等の根源は或る世間の男女が家族もなく家庭の楽を知らず幼少また中年より厭世、悲観、失意、落胆等にて山深く分け入り世を避け遂に習い性となって独居寂寞此に至りたるものというべく、其の事情は幾多の可憐の事情もありしなるべく然して人間は様々のものにして繁華を愛すれば寂寞を愛するものあり俗諺に乞食を三日すれば其の味を忘れずという如く樹下石上の生涯も習うれば左程苦しきものにあらざるならん、余は此の理由により変態人間として山男山女の存在を確信す、今まず本邦諸国の例証を示さん、「諸国周遊奇談」巻三に曰く


豊前国中津領の山賊など奥山より木を伐り出すときに馬手通いがたき所は、此の山男というものに頼み、山の口まで出せるに甚便なりとぞ、余、廻歴之節、炭焼山にて只一度見たり。まず右中津領の山男は大かた長六尺また高きは六尺四五寸あるべし、太りありて力量至て強きものなり、それに右の如く材木を負せ出すに一向人と言語をなさず、只此方のいうことは聞き分ると見えたり、此木を山口の何という所まで出してくれよ、その賃に此の握り飯一つ遣わすべしと約束す、もし此木二本持は二つやらんといえば、そばによりて此木を持ち見る二本持てるとおもえば二本一所のようにそばへよせるなり、足至つておそし、惣身人に同じく毛多し尤裸なり下帯とてもなし男女しるしはあれど股のあたりはことに毛深く、ただ眼色と大小にて女男を分つなり、甚だ正直なるものにて約を違うれば大に怒り大木なりとも微塵になして此人を忘れず、もしかさねて逢うことあれば無二無三に飛付て半死半生になすなり。

また山女は其形男とは大に異なり、木の葉また木の皮ていのもの割いて莚の如く編綴りそれを身に纏う也、色青白し山男よりは尤も少し低くし痩せたる方なり、これは中にちょっとは人の眼にかかれどそばへ寄らず、どのような場所に住んでいるか知るものなり。(中略)

但、小生、炭焼小屋に一夜を明かせし折から見たるは出羽仙北という所より水なし銀山安丹という常陸内という山越して近道をゆかんとして道路迷いそこに泊りしなり、此所の山男は形状豊前に同じなれど力量も知れず木も炭も石も何にても負いもせず、唯おいおいその小屋へ来り食事などの時分を考え来るとなり、故に飯などこれも握りつかわせば喜ぶが人の見る所にては食せざるなり


以上記事によれば、山男は北奥州より南九州までひろまり、実際上深山に住居せしものにて化物にあらず、全く永く山中に独居せし野生の人間なり。


 土佐国に其の存在ありしやというに記録によれば、昔土佐郡鏡村的淵猟師福次という者が雪光山の続き山で据銃をかけありしに、夜半、銃声響き明方そのところに血痕あり、之をたどりゆくに勝賀瀬の山奥にて鬚茫々と生え延びたる大の山男倒れ居たりと書き伝えたり。

また余は或る時吾川部名野川村の神職西森麓翁に之を尋ねたところ、昔、別府山中の白山神社の祭に餅を搗くことあり、此の時どこから来るのか判らない山姥を雇うて餅を搗く例なりしが、ひと年山姥の来るを待たで前に搗き置きければ、己が行かぬとも餅搗くというて是より再び姿を現わさざりしことありといえり、やはり近年まで山男山女は土佐にも住みたるなり。 


笑  男

土佐国昔より「勝賀瀬山の赤頭」、「本山の白姥」、「山北の笑男」いう三つの怪物あり。旧藩の昔樋口関太夫知行三百石にて船奉行勤めぬ、或時関太夫知行所、山北へ殺生に行き山に入らむとせし時百姓共申すは今日山へ御出は無用に存候、所の者とも申伝ふに十九、十七と申し月に朔日九日十七日には此山へ入れば必ず笑男に逢ふとて半死半生の仕合に罷成と申候といへば、関太夫聞て我等役目に二月九日に船を出さぬと云事はあれども山へ不入と云事はなし、今日九日やらで何の遠慮の有べきぞと家来一人召れ山へ登りぬ。山腹を往来し雉を狙ひけるに一町計向ふの松林の端に十五、六歳の小童出で関太夫に指をさして笑ひける、次第に笑声高く成り小童近く程山も石も草木皆笑ふ様に見へ風の音、水の音迄も大笑に響きければ関太夫主従坂を下り遁げ帰る。此の笑声大忍郷迄も聞へけるとなり、家来は麓にて気を塞ぎぬ、百姓共迎に来りて無事に帰りけるが其の年を過ぎ関太夫は病死するまで耳の底に笑声残りて止まず其時の事思い出す時は鉄砲打込やうにありしとかや。(南路志)


仙 人 笑 男

幡多郡宿毛の内大島の向ひに小浦といふ有り。此辺に鹿崎といふ磯山あり大島の漁人諸用ありて父子とも小浦へ行しに舟をば鹿崎につなぎ置て暮時彼所に来り帰らんと思ふ折に一人の仙人と覚しきが立て居れり。其の姿髪はおどろを戴き棕櫚の如く荒々しく眼光り手足の爪長く髪を掻く音ガリガリといふて此の人に向ひ笑ふ故に漁人も言葉をかけしに答る事もなく只笑ふのみなり。暫し立て山に帰らんとするさま手前に小川の有りしがそれを一足にまたぎて向の山の険しき岸を歩み行くこと平地の如し、間に木の実を取て喰ふて又笑ふ。暫くして山に入れり、其の人に逢ひて直に話せるをしする、怪しき事なり。(南路志)


山  女

今は昔安芸郡安田村の或猟師冬の夜ぬたまち(山中に仮宿して獣の来るを待打す)に往きたりしに、其の夜は折悪く猪はさて置き兎猫の類さへ絶へて姿を見せざりしが、最早丑満頃(夜半二時)中年ばかりとも見ゆる一人の女出来たり前後に鏡を立て髪を梳る体なるにぞ猟師はこは妖怪なり一打に打捨てんと構えるも、第一眞の人間にては如何せんと銃を休め何者ぞと問ふに答なし此方は再び発声し速かに名乗らずば鉄の二玉にて打捨てんといひしかば、彼其の時答へて曰く、



「妾は高岡郡井尻庄屋の妻なり、何年悪魔に誘はれ家出なし其後我家の門前を通る三度に及ぶも誰も呼入れくるる者なく魔境に入りたる身を以て独り家に入る能はず空しく此の辺にあり」と、

猟師夜明に帰宅して此の話をなし、井尻庄屋も聞て打驚き昔其の事ありと類族村人大勢立越し探りしに遂に再び其の在処を知らざりしといふ、穴内村前田岩右衛門老人の話なりしといふ。


山 姥 山 女

或人野根山にて極月廿日小鳥打に山中を徘徊せしが小鳥も此の日は見へず山深く入りしに女一人木賊色の打掛して背を此方に向けて立居たり是ぞ山姫ならんとて見捨てかへりしとかや。



 又土佐郡土佐山村横平に岩窟あり山婆カ瀧といふ里人伝ヘ云ふ、往古山婆此所に住居せしとて例祭九月十七日に山姥祭を行ひけるとぞ。(南路志)


奈 半 利 の 笑 男

 今は昔、嘉永安政の頃安芸郡和食郷西分村長谷寄の松岡忠三郎といふもの壮年の時山猟を好み一歳奈半利の奥の山家に泊りし冬の夜何とかいへる山中へ一人沼待(ぬたまち)に出掛けしが最早深更の頃峯の方にて人を呼ぶ如き声が聞へ次第に近くなり四、五丁計りもと聞へしが、是ぞ予て聞及ぶ「呼(よび)」といへる妖怪ならんと心に油断なく聞き居たりも、其の間十四五間計りともおぼしき上の方にて歯抜し老人の声の如くハアッハアッと笑し声の高かりしは実に山谷に響き渡りて惣身己に痺れつつ漸く心を取直し銃に火をかけ猟刀をも帯し待居りしかと、其の後は何事もなく夜明山を下り里人に語りしに、其所は魔所にて本職の猟師も立入らざる所なりと皆々驚き恐れしといふ。

(土佐郷土民俗譚より・昭和三年)