この塚地越えは、往時の商業の道であり、漁村を結ぶ産業文化の道でもあった。遠い昔、宇佐で造られた塩は、この峠を越えて穀物と交換されるなど郷と浦の人々を結ぶ生活道であった。
又、通勤の道でもあり、宇佐方面に勤める人達はよくこの道を越えていった。竜の不動祭や大相撲、潮干狩り、海釣りなどの時には高岡方面と宇佐を結ぶ最短の道でもあった。
明治時代の終わりに中島から新居を経由して宇佐に通じる郡道が開通してからは塚地峠を行き交う人々はだんだん減っていった。
戦後、自動車交通が普及するようになってからは徒歩のお遍路やハイキングの人達の道になった。
平成の時代になって、この道は「塚地坂トンネル」という形を変えて私達の前に姿を現した。全長八三七・五㍍のトンネルの開通により塚地峠をわずか二分間で通り抜ける。
(塚地峠登り口の案内板・「みちの移り変わり」より)