平成十九年九月十二日。夜来の雨が一転して快晴になる。
この頃は、道のない山ばかりに登っていたので、久し振りに確かな道がついている山へ行こうということになった。以前に高知新聞でも紹介された旧窪川町、大野見村、東津野村の境界で屹立する「鈴が森」(一〇五三・九㍍)を目指す。この山へ登るには四つのルートがあるが、今回は大野見村島ノ川から鈴が森峠を経由する一番楽なルートを採る。
詳 細 登 山 地 図 |
この日、七時二十六分に高知市を出発。同四十五分に高速道に入り、八時十一分に須崎東IC着。ここから国道三十三号線に乗り換え、同二十七分にJR土佐久礼駅(五四・七㌔)、同三十五分に七子峠(六十二・〇㌔)。ここから右折して県道四十一号線に入り、大野見村奈路を同五十分に通過し、ここから島ノ川川を遡るが、途中、路肩崩壊のため迂回を余儀なくされた。九時十六分に島ノ川集落(標高四〇六㍍)を通過して未舗装の「樽ケ谷林道」を進むが、よく整備されており走り易い。右は島ノ川川、左の山側はすべて植林である。同二十七分(七九・〇㌔)に橋を渡り、今度は谷川を左に見ながら進む。そのうちに再び谷の左の道となり、同三十一分、東津野村大古味への分岐(八〇・四㌔)を左に進む。
同四十分、対岸に三四軒の大きい家屋が見え、付近の田んぼには水稲が色づいている。ここを通過すると急に道が荒れてくる。この単調で勾配が少なく長い道中に飽きてくるが、同四十六分、道は次第に登りに入る。この坂道を登り切ると、同五十九分に「鈴が森峠」(標高七七〇㍍、八六・六㌔)である。二時間三十三分を要したが、迂回路等による遅延を考慮すると二時間二十分くらいの行程であろうか。
登山口は直ぐ左にあり、「鈴が森巨木古木等ルート案内図」と書いた立札がある。この辺りには植林は全く見当たらない。
準備を整え、十時二十分に登り始める。山頂まで一四一五㍍の道程で、標高差は約二九〇㍍である。ここから山頂までの道はよく整備され、植林は全くなく、すべて自然林で、こぼれ日がちらつく登山道の気分は爽快である。このような山には久し振りにお目にかかった。やはり国有林ならでのことだろうと思った。道中にはアカガシ、ブナ、シデ、カエデ等の古木や巨樹が多い。
平成十八年に四万十町観光協会等が鈴が森一帯の植生調査を実施した報告書を見ると、藩政時代はお留め山として伐採が禁止されてきたことから樹齢三百年を超えるアカガシ、ヒノキ、マツ、モミ、トガ、ブナ、ヒメシャラ等の自然林が残されて来たとある。しかし戦後の植林ブームでその内約五千㌶にヒノキ、スギが植えられ、四国三大美林の一つといわれるようにもなったという。この峠から山頂に至る登山道の周辺の樹木には、№55から№1(番外3)まで五八本に夫々立札が立てられ、樹名と胸高周長さが書き込まれている。最大はアカガシの周長四七〇㌢(直径一五〇㌢、№12)、次いでブナの二九〇㌢(直径九二㌢、№23)である。この立札のナンバーを見ることによって、現在、どこら辺りを歩いているか、おおよその見当がつくのである。道中で展望が利くところはない。自然林が落葉する晩秋から早春には、不入山、四国カルスト、須崎湾、葉山の風車等が遠望されるという。
十一時四十一分辺りからスズタケの植生が現れるようになったと思うと、突然、前方が明るくなって、ここを登り切ると山頂である。十一時四十三分、一時間二十三分を要した。二等三角点を中心として半径三㍍位の円形の広場になっており、日当りがよく蔭地がない。小さい岩がゴロゴロしている。南北に展望が開けている。南東に降下している登山道は高山登山口、南西に降下している登山道は春分峠登山口に通じている(詳細は後述)。
十二時四十九分に下山開始、十三時五十九分に駐車地着。一時間十分を要した。
先に、この山へ登るのに四つのルートがあると書いたが、残る三ルートは以下の通りである。(↑案内図参照)。
1、 窪川町松葉川温泉から県道を通り高山登山口まで五・四㌔(標高四四〇㍍)。ここから山頂まで四㌔の登山道。
2、 窪川町松葉川温泉から県道を通り春分峠登山口まで十㌔(標高七三〇㍍)。ここから山頂まで六・二五㌔の登山道。
3、 大奈路から林道。登山口(標高六〇〇㍍)から約一・五㌔。
この山塊は、前にも述べたように広大で歴史をもった自然林があり、そこには久保谷山風景林、石が森の谷石楠花群生地、轟谷山風景林があることが、平成十八年に四万十町観光協会等の植生調査で明らかにされている。なお、今回登った鈴が森峠から山頂までに立てられた古木巨木調査五五本、番外三本、計五八本の主な樹種は以下の通りである。
シデ 十二本、アカガシ 十一本、ブナ 八本、ウリハダカエデ 四本、ヒメ・コシアブラ・ハリギリ・アカマツ・ドウダンツツジ・イタヤカエデ・ヤブツバキ・トチ・ヤマザクラ 各二本である。
最後になりましたが、資料をわざわざ印刷をして送付して頂いた四万十町観光協会の浜田博史さんに厚く御礼を申し上げます。
《 蛇 足 》 歌 舞 伎 ・ 御 存 知 鈴 が 森 |
長兵衛 「お若えの、お待ちなせえ」
権八 「待てとお止めなされしは、身どもが事でござるかな」
長兵衛 「左様でござりまする。鎌倉方のお屋敷へ、多く出入りが、わっしの商売、それをかこつけ有りようは、遊山半分江の島から、大大(だいだい)かけて思わぬひま入り、どうで泊まりは品川と、川崎かけての戻り駕籠、通りかかった鈴ケ森、お若いお方の御手の内、余り見事と感心いたし、思わず、見とれておりやした」
権八 「拳もにぶき生兵法、お恥しゅう存じまする」
長兵衛 「無躾ながら見ますれば、まだ前髪のお侍様、お一人旅でござりまするか」
権八 「ご覧の通り某は、勝手存ぜぬ東路(あずまじ)へ、中国筋よりはるばると、日暮に及びし磯端にて、一人旅と侮って、無法過言の雲助ども、彼奴(きゃつら)はまさしく追い落とし、命を取るも殺生と存じたなんどつけ上がり、手むかい致す不敵な奴、刀のけがれと思えども、往来の人のためにもと、よんどころなくかかる仕儀、ああ雉子も鳴かずは撃たれまいに、益ない殺生いたしてござる」