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蟇蛙を祀った九反田山

 平成十九年二月十九日。晴。

 友人と二人で、高知県高岡郡佐川町の「塒ケ森」に登ってから、同町の九反田と市の瀬集落に挟まれた「九反田山」(くたんだやま、二二六㍍)を目指す。町唯一の二等三角点で「院光寺山」とも言い、ヒキガエル(蟇蛙)を祀った祠跡がある。院光寺山は所在地の字名である。



詳 細 登 山 地 図



 十二時三十分、登り口である市の瀬集落の丹生神社(九〇㍍)に着き、境内横に駐車させてもらう。この神社は全国的にも数多く存在し、ここの祭神は、水波之女神、木花咲耶姫神である。前者は、農耕に使役された牛馬の供養の神、後者は、木の花が咲くように美しい女性の意で、安産や酒造の神。



丹 生 神 社 (たんじょうじんじゃ)


作 業 道



 ここから舗装された作業道を行くが、幅員が二・五㍍と狭く、ガードレールもないので徒歩で進む。小型車なら通れる。十二時三十八分に出発して七〇〇㍍歩くと左に登山口(一六〇㍍)がある。「四国電力株式会社」と書いたL形の鉄杭が目印である。





 同四十八分、いきなり植林に入り、プラスチック製の板で土止めした一五二段の登山道を登って行くと、十三時一分、尾根道に飛び上がる。ここで右折して日当りのよい自然林を進んでいると、同四分、四国電力送電鉄塔№62(一九〇㍍)に突き当たる。





左 側 が 登 山 口


ここの広場の右奥(西)にある登山道を四〇歩進んだ左側に最後の登山口がある。ここから植林との混合林の道のない直登に入る。上空の山容を透かし見ながら進んでいくと、同十八分に石垣があり、その上にもまた石垣がある。東西一〇㍍位の長さである。





 これを乗り越えて行くと、十三時二十二分、山頂である。神社から四十四分を要した。ここは半径五㍍位の円形の広場になっており、自然林とウラジロだが展望は南に町が樹間からちらちら見えるだけである。北方一〇㍍にツツジが咲いている。





貫 禄 十 分



 北東二㍍に一段上がった石垣の祠跡がある。ここには、「おんびきさん」と呼ばれる蟇蛙を祀った祠があったのである。院光寺と言ったのだろうか?



荒 れ 果 て た 「 お ん び き さ ん 」 の 祠 跡



地元のおばあさんの話では、たごり止め(咳き止め)にご利益があるというので子供を連れてお参りしたという。その子供が今では五〇歳になった位の昔の事だからどのような祠があったか記憶にないし、その後登った事はないそうである。この蟇蛙を祀った神社や寺は全国にも存在している。「クラス便」というHPに以下の記述がある。


「…実はこの蛙達、猿田彦神の使いと言われているのです。しかしこの謂れははっきりとはしていないそうで、一つには夫婦岩を竜神の住処とみなし、竜神は雨を喜ぶことから蛙を奉献したという説があります。また一方では伊勢参りの人々が帰路を安全に「帰る」ことができるよう、また海で働く人々が安全に「帰る」ことができるよう、蛙を奉納したという説もあります。
 しかし私見としては、猿田彦神の容貌と、蛙、なかでも蟇蛙が結びついているように思います。蟇蛙はその奇怪な容貌から、あの世とこの世を行き来できるものとみなされ、地上をあまねく這いずり回るがゆえに、様々なことを知り尽くしていると考えられていました。また猿田彦神は天孫降臨で道案内を勤めたことからわかるように、天界と地上を往来できる存在だと考えられます。それゆえ違う世界を行き来できるもの同士として、蛙(蟇蛙)が神の使いとして選ばれたように思われます…」





昼食を済ませて、十四時十分、下山開始。同二十三分に鉄塔から四〇歩の所にある登山口、同三十二分に車道からの登山口、同四十五分に丹生神社着。三十五分を要した。

(平成十九年二月記)