平成二十三年八月七日、晴れ時々曇り。
高知県須崎市浦ノ内湾(横浪三里)にある有名な山で、まず頭に浮かぶのは「宇都賀山」である。しかし「浦ノ内山」(一一一・八四㍍)という山もあって、名前からすれば、こちらが盟主ではないかと思われる位である。殆ど知られていない山だが、山名と所在の珍奇さが気になって、今回行ってみることにした。
詳 細 登 山 地 図 |
この日、友人と二人で高知市を出発。いの町の仁淀川を渡り、左折して南に進み、塚地トンネルを抜けると宇佐の港である。宇佐大橋を渡り三十六番札所・青龍寺を右に見ながら、いよいよ横浪スカイラインに入る。
若者の遍路姿が散見される。次の札所は窪川町の岩本寺だが、七〇㌔もある。二日がかりの難行だ。左に見える土佐湾の景観がやがて右の浦ノ内湾の内海に変わった処が坂内地区である。ここで本道から左折して一車線を南西に六〇〇㍍進むと、行き止まりに来た。丁度、ここに民家があったので庭に入って見ると、初老の夫婦がいたので聞いてみた。
「平成十二年の『点の記』では、果樹園内を通り尾根を頂上に向けて登るとあるが、登山口はどこか?」
「果樹園は私の親戚が経営していたが、もう廃園になっている。あの山だと思うが、道はないだろう。登ったこともない。」
南に山峰が見えるが、地図に磁石を当てると、これが間違いなく目指す浦ノ内山である。
ここまで聞けば、見当をつけて闇雲に登るばかりである。庭の南を西に向う作業道を行くと放置された棚のある葡萄園に来た。
ここの西北の端に登山口のような所がある。覗いて見ると道はないが、尾根の取り付きのように見えるので躊躇なくここから潜り込む(標高九㍍)。
後は、けもの道のような自然林の尾根を直登する。十一分登ると、第一のコブ、ここから六分で第二のコブがあるが、ここらあたりから檜の植林になり、尾根筋はウラジロとシダが繁茂してくる。恐怖のウラジロ群落は複数の低山で経験済だが、ここはそれほどでもなかった。この日は暑く、眼の中に汗がしみ込む。久し振りに汗をかく。
水気はないが、広く慣らされた猪のヌタ場がある。
やがて左に潮騒が聞こえ、樹間からチラチラと白い波頭が見える。ウラジロとシダがやや邪魔になるほど茂っている。杖で叩きながら道筋をサバいて行くと、やがて山頂である。登山口から三十八分を要した。要所に赤テープを付けた。
四等三角点付近は殆ど藪化している。
ここの選点は平成十二年でその後人が入った形跡はないようだ。早速、持参のノコギリと鎌で清掃をする。
南は切り立った断崖だが樹木が茂り、波頭がチラチラ見える。潮騒が間断なく心地よく響いている。海側からこれも間断なくそよそよと涼風が頬を撫ぜる。先ほどまでの暑さと違って、まるで別世界のような心地よさである。ここの所在は須崎市大字浦ノ内東分字フナコシナダ三七三四番三で、高知県が所有している。大規模年金保養基地が設置された頃の名残であろう。三角点の直ぐ東にコンクリート製の標柱が埋設されているが、これには「BM
NO18」反対側に「高」の彫り込みがある。多分、県が埋め込んだ標柱であろう。
また三角点の直ぐ西に一五㌢位の石を敷いている処があった。砲台の台座ではないかと思ったが民家の人の話ではどうもそうではないらしい。
上空には植林の檜の立ち枯れが数本見えるが、台風被害か。
ここは気持ちがよいので、つい長居をした。籔蚊がいないのが不思議である。昼食を挟んで一時間三十一分の滞在である。下山して登山口まで三十七分を要したが、登降に時間差は殆どなかった。
高知市の自宅まで四〇㌔丁度、一時間十分を要した。