平成十四年六月、大豊町と香北町の境にある鉢ケ森(一二七〇㍍)登山を計画。
香北町美良布を北上し、悪路の谷相林道をさらに進んでいると、突然、灰色にくすんだ異様な建物が現れ、思わず息を飲んだ。
この松尾峠(一一二〇㍍)にある正体不明のコンクリートの廃屋は二階建てで、中に入ると、窓が少ないので薄暗いが、なにも置いていないようである。ぞっとするほどに薄気味わるいのですぐに外に出た。
『どういうわけだか知らないが、その建物をひと目見た刹那、耐えがたい憂欝の情が私の心を襲ってきた。じっさい耐えがたかった。なぜというに、その感情は、心が通例どんな荒涼たる、また恐るべき自然の姿を見るときでさえも付随する、あの詩的な、したがってなかば心地よい感情によって、すこしも緩和されていなかったのである。私は、眼の前に広がった景色を眺めた。―単なる家と、邸内のこれということもない景色、荒れ果てた壁、うつろな眼のような窓、すこしばかり茂った菅、枯れた樹の白い五、六本の幹などを眺めたときの感情は、何と言ったらよいか、心地よく阿片に酔うた人が、見果てぬ夢になごりを惜しみながら、夢幻の幕落ち下って、いたましくもふたたび日常生活にもどる時のそれにでもなぞらえるほか、とうてい現世にくらぶべきものがないまったき沈欝さであった。心は冷たく打ち沈んでむかつくようになり、救いがたいうら淋しい思いは、いかなる豊かな想像で潤色しても、とうてい強いて美しい姿に装おう術もなかった。どうしたのだろう?私は立ち止まって考えた。アッシャア家をじっと見つめているうちに、かくも私の気を腐らせたのは何ものの仕業であろう? これはどうしてもわかりかねた不思議なことで、いろいろ思いめぐらすままに浮かんできた多くの想像に打ち勝つことができなかった。そこで、不満ながら私はこうした結論へ落ちてゆくよりほか仕方がなかった。すなわちかくもわれわれを悩ます根本の力は、疑いなくただ単純な自然物象の結合の中に存するとしても、なおこの力そのものの解剖はとうていわれらの考察の及ぶ範囲内でないと。(アッシャア家の没落より・エドガア・アラン・ポオ・谷口精二訳)』
小生の文才では表現できませんので、ポオの文章をお借りしました。
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後でわかったことですが、この建物は、超短波無線中継所跡で北隣の梶ケ森のマイクロウエーブ中継所にとってかわるまで活躍しいたらしい。建設中に殉職された方の名をとって有沢無線中継所といわれていた。詳しくは、「リンク集」の「山登の部屋」・谷相山をご覧ください。
幽界と霊界の概念があります。幽界は、死後にいく世界。霊界は、霊魂の世界、つまり精神界。そこで、幽霊を信じるかどうか、というのは、霊界の話ですから、これは宗教を信じるかどうか、ということと同じで、信じる者には存在し、信じない者には、存在しません。幽界も同じことです。「俺は、幽霊など信じない」と力む人がいますが、墓地でひとりキャンプができるかな?