平成二十年一月二十五日。晴れ、寒風強し。
友人と二人で、遍路道で有名な塚地峠の東方にある中口山(なかぐちやま、二三三・三二㍍、四等三角点)を目指す。三角点の所在地は土佐市宇佐町宇佐字ヌタノタニ三〇二九で、昭和五十年に選点設置された。
詳 細 登 山 地 図 |
赤 旗 が 中 口 山 、 緑 旗 が 塚 地 峠
この山は、ルートが塚地坂トンネルの中間付近の山の上を跨いで通るのが面白く、しかも全山に孟宗竹がかつて見たことがないほどに生い繁り、さらに思いがけもなく頂上付近に得体の知れぬ建造物と作業道があって仰天したのである。
この日、八時五十八分、高知市出発。国道五六号線を西に進み、九時二十四分、仁淀川大橋を渡り、直ちに左折して宇佐方面に向う(一三・六㌔)。同三十分、塚地坂トンネル手前の塚地遍路道駐車場着(一六・六㌔、標高四〇㍍)。三十二分を要した。ここは公園のような広場になってなっている。峠道の由来を書いた案内板があり、四国八十八ケ所三十五番札所の医王山青滝寺から三十六番札所の独鈷山青龍寺に向うに越さねばならぬ峠道であった。しかし今ではこの峠道をどうしても通らなければならないことはない。この駐車場を車でそのまま南へ通り過ぎると塚地坂トンネルを潜って一気に宇佐へ走る。しかし今でも尚、お遍路がこの峠道を通り、三十七番札所藤井山岩本寺まで遍路姿でてくてくと歩いているのをよく見かけるのである。
準備を整え、九時四十二分、先ずは塚地峠を目指す。道幅二㍍位の、いにしえから人馬が踏み固めた貫禄のある道である。石畳を敷いたり、横木を埋め込んだりして今でもよく整備されている。道脇には行き倒れのお遍路を供養する柱石が並んだり、木々の枝には記念の吊り札があちこちにぶら下がっている。このような峠道(今に残る遍路道・塚地峠)の存在は極めて珍しいのではないかと思う。
十時十二分、峠着(標高一九〇㍍)。三十分を要した。立札や吊り札などで中々に賑々しい。ここは三叉路になっており、真っ直ぐ南へ行くと宇佐、西は戸波山の大峠展望所や茶臼山に通じている。
中口山への登山口は峠の直ぐ東にある。しかし完全に薮化しており、誰もここに隠れた道があることに気づく人はいないと思う。我々がここでゴソゴソしていると、地元の人が「どうしているのか、ここになにかあるのか?」と訊いてきたこでもわかろうというものである。そのため「中口山登山口」と書いた吊り札をぶら下げた。
十時二十四分、登山開始。と言っても、頂上との標高差はわずか四〇㍍で逍遥か散歩の感じで出発したが、実態は道筋のはっきりしない薮漕ぎで中々そうもいかなかったのである。
いきなり薮化した竹林に突っ込む。アップダウンはあまりないが、倒竹、倒木、薮があって道筋が定かでないが、地図にあるように尾根筋を確認して行けば迷走することはない。同四十分、コブへ来た。ここも竹が密集しており、強風で竹同士が衝突し合って、カラカラ、ガラガラと異様な音を立てている。「この音は始めて聞いたような気がする」と云うと、友人は「そんなことはない」と否定した。同五十五分、竹の密集地に突入して道筋がわからなくなり、前方を透かし見ながらウロウロと彷徨う。
ここからぐっと下がる。十一時五分、下りが終わり、今度は登りに入る。尾根筋の左(北)が植林、右が自然林である。同十四分、上空の透けて見える方向に直登に入る。同二十三分、南北の尾根に飛び上がる。ここで先ず左(北西)に行ってみたが何もないので、引っくり返して今度は右(南東)に進む。同二十五分、コブ。この横をさらに南東に進んでいく。山頂の近いことが実感されるが所在は判らない。
同三十二分、前方下に突如として工場のような建物が現れたので仰天した。こんな所に建造物があるなどは想像もしなかったので目を疑ったのである。丁度その時、二人の若者が作業道をこちらに歩いて来たので互いに手を振る。会話ができないほど離れているので、話を聞くことはできない。工場の上をさらに進み登り切ると、十一時三十五分、山頂である。塚地峠登山口から一時間十一分、塚地遍路道駐車場から一時間四十一分を要した。
山頂は日当たりがよく北方に土佐市、仁淀川方面、南に宇佐湾方面が俯瞰される。付近には大きい木はないが、クヌギや竹が生えている。風が強い。ここからも直下に工場の屋根が見える。
十三時二分、下山開始。先ずは大いに気になる工場の探索に行った。ここには炭焼き窯があって竹炭が置かれていた。この山には竹が豊富に繁茂しているので竹炭の製造をしていたに違いないと思われた。
重機も置かれているが、全体の感じでは閉鎖されているようにも見える。それでは作業道を歩いていた二人の若者は一体なんだろう?と思ったが、時既に遅し、いつの間にかいなくなっていた。竹炭製造と搬出のために開設したこの新しく見える作業道は、一体どこに起点があるのか勿論判るはずもない。推定だが、塚地遍路道駐車場から八五〇㍍戻った砥ヶ谷、菖蒲関地区から南に敷設されている作業道に連結しているのではないだろうか?
十三時十三分、ここを出発して帰途につく。同二十分、飛び上がった尾根着。同五十五分、右側にコブが見えるので寄り道をしてみたが、ヤマモモの大木が三四本あった。
十四時五分、塚地峠登山口着。山頂から正味四十七分を要したことになる。
峠に五十がらみの地元の男性が宇佐から登って来た。普段の構えで散歩がてら二十分位掛かったという。「どこへ行ったのか」と聞くので、「中口山」と答えた。「そんな山があったのか、登り口はどこか?」「ここからだ」というと、驚いたような顔をして「知らなかった。しかし大荒れで道はないのでは?」「そうだ、行ってみたらどうか」「私は蛇が苦手だから行かない」「今は蛇はいない」「いや、猪も恐い」と顔に似合わない気弱い返答で、苦笑するしかなかった。えてして地元は灯台もと暗しであることが少なくない。