平成二十年二月五日。晴天。
土佐市宇佐町新居の西方奥に鎮座する黒岩山(くろいわやま、一七〇・三一㍍、三等三角点)に登る。黒岩は字名に由来する。道中や山頂に意外性があって結構面白かったのである。
詳 細 登 山 地 図 |
この日、九時二十七分、友人と二人で高知市出発。国道五六号線を西に進み、仁淀川大橋を渡ると直ぐ左折して南に向う。そのうちに右に突然目立った新居郵便局がある所で、その北の横道を進むと広い集団墓地があり、ここの広場で駐車。十時丁度、三十三分を要した。
十時十二分、登山開始。左に神社を見ながら、墓地の中を北に進み、同十五分、登山口の谷の入口に来る。ここから谷を左に見ながら斜面の小径を登る。ここら辺りは道がはっきりしている。同二十五分に竹薮に突入するが、直ぐに竹はなくなり、水田跡と見られる放棄田に檜が植林されている。次第に道がはっきりしなくなって来る。
同四十五分、三叉路のように見える所へ来た。ここで判断に迷った。右は尾根筋へ乗る道筋である。地図と照合して、まだ尾根に入るのは早過ぎると判断して真っ直ぐに谷側の道を採ることにしたが、これが誤った。しかしこの誤算で楽しい経験をした。その中に道筋は定かでなくなり、大荒れの薮に突入した。選路の誤りに気が付いたが徒に後退することは二人の最も嫌うところである。十一時丁度、谷側は竹林、右は自然林であるが、もはや道はない。同五分、谷に分かれて右側の斜面を登る。同十六分、上空の尾根を目指すが、やはりあの厭らしい「恐怖のウラジロ」の群落に突入した。いろいろな薮漕ぎがあるが、このウラジロのそれが一番の難物である。友人が先棒だったので、その苦闘の有様も凄かったが、粉塵を吸い込み、クシャミが止まらなくなった。鼻をかんだが茶色になっていた。同三十五分に十九分かかってウラジロの群落を抜け出て尾根筋に飛び上がった。南北に荒れた小径がある。左は自然林、右は疎らな植林となっており、コブを越えて右方に巻きながら東に進んで行くと、前方に突然家屋が見えたので驚いた。ここが山頂である。十一時四十分、なんと一時間二十八分を要した。
この家屋は二・五㍍四方の物置のようで、天井は抜け落ち、木臼、ガスボンベ、梯子の外、トタン箱のなかには真新しく見えるビニールシートが収納されている。
直ぐ東隣りには東西一一㍍、南北七㍍の広さの吹き抜けの大きい鉄骨の家屋がある。築二十~三十年を経過しているようで、天井はトタン張り、あちこちが錆びて穴が開いている。手入れもされずに放置されている感じである。
中央北に「山神神社」の祠と「山神」(Wikipedia HP)と刻まれた石碑がある。祠は固く施錠されているが、錠前が比較的新しいところを見ると、完全には放置されてはいないようだ。山神の名称は、「詳細登山地図」にも図示されているが、新居の北にある「山ノ神」地区と関連があるのだろうか?
この祠の直ぐ西に三角点がある。三角点多しと雖も大屋根付きは珍しかろう? 私は過分にして見た事がない。
また祠の東には石段、鳥居、二匹の狛犬が鎮座しており、その西には手洗石が据えられている。その昔には氏神様として祭られ、年一回はここにお参りをして「山の神様」と一緒に宴会をしていたものと想像した。祠横に酒の入った一升瓶がその侭置かれていた。周囲は自然林で栗、樫、楠、アセビ等が目に付いた。展望は利かない。
十三時二十分、下山開始。帰路は往路を採らず、東に見える広い道を下りることにする。しばらくは二・五㍍幅の落ち葉が堆積した歩き易い道だったが、次第に荒れてくる。
同三十三分、東方に仁淀川河口大橋方面が俯瞰される所へ来た。同四十分、往路で道を誤った三叉路に出くわした。改めて往路の間違いを確認した。後にも先にも間違いやすいのはここだけである。十三時五十五分に駐車地に着いた。三十五分を要したが、往路の一時間二十八分との落差には愕かされた。
ここで駐車地の左に見える神社に詣でる。この上は津波来襲の際の避難所になっており、ここに至る道筋には太陽電池を付けた夜光燈が複数設置されている。ここら辺りには住宅が多いが、津波で大きい被害を受けることは素人目にも明らかである。小山へ避難するしかない。
駐車地の直ぐ横で鶏小屋の改造をしていた中年の男性と話をした。「昔はこの山に登っていたようだが、この頃は絶えてないように思う。山道はかなり荒れているのではないか」、と云っていた。そこで写真を見せたが、山頂に大屋根付きの祠があることを知らなかった。見捨てられた氏神様の山であろうか?