詳 細 登 山 地 図 |
平成十九年十一月二十五日。晴天。
友人と二人で、大川村中切集落の西方に聳える「中切」(なかぎり、一〇九三・五四㍍、四等三角点)を目指す。この山は、大川村役場の前で西に向うと、怖げに屹立し天空に聳える山容が見える。その頂上には送電線の鉄塔が突き立っているので、よけいに眼を引くのである。この山は、一名「能谷山」(のうたにやま)とも呼ばれている。しかし国土地理院が「能谷山」という点名を付けているのは、実はこの山ではない。地元では「中切」と呼んでいるので、ここではそのように云うが、西の稲叢山から西門山、東門山と連担する尾根筋の東端付近は一体が能谷山という山塊である。ここには、能谷山、中切、上中切(九三一・二八㍍、四等)の三角点がある。
この日、七時五十五分、高知市を出発。高速道に入り、八時三十五分に大豊IC、ここから本山町、土佐町を通過、橋を渡り、早明浦ダム北岸をひたすら西に走る。大川村役場を過ぎて、九時二分、小金滝橋を渡り(七十一・五㌔、標高三四〇㍍)、直ちに右折して暫く進むと三叉路(七十五・九㌔)に来るが、ここで左にドッグレグ、舗装が切れ次第に高度を上げて行く。やがて能谷集落(五四〇㍍)に入り、林道を初めは南西だが、そのうち向きを変えて南東にどんどん進んで行くが、道幅は狭くなり、ガラガラ道で時々腹を擦るのでゆっくりと進む。
九時五十五分、前方路上に大型のダンプトラックが停まり、その上方で三人の作業員がブルドーザーを使って新たな林道を造成していた。このような狭い悪路を大型ブルドーザーを積載した大型車がここまで来ていることに驚いた。これはやはりプロの仕事であろうと思った。クラクションを鳴らすと、気持ちよく窮屈で危険な運転をして道を空けてくれたが、実はこの林道は某企業の私道で通行を拒否することもできたのである。こちらは遊び、あちらは商売、年寄りに免じたか?申し訳ない。
十時五分、ここを出発してさらに南東に進む。同二十五分から中切頂上の北東直下にある登山口を探しながらゆっくりと進む。所々で下車して確認をする。同三十四分、ヘアピンカーブした左側に登山口(九七五㍍)があった。ここまで七十八・九㌔、二時間二十九分を要した。入口の小金滝橋からは七・四㌔だが一時間四分を要した。早足で歩行している位の速さだから自ずと林道の状況が知れようというものだ。この登山口には複数の標識テープが付けられている。林道はさらに延びているので、少し歩いて見たが登山口らしいものを発見するこはできなかったので、ここで駐車する。山頂までの標高差は一二〇㍍。
準備を整え、十時五十分に登山開始。疎い植林と雑木の混合林を進んでいると、十一時丁度、尾根筋に出、左側の絶壁から大川村役場付近の集落とダム湖の美しい景色が俯瞰される。ここを南西に登ると直ぐ道はなくなる。ここから尾根筋に沿って植林、自然林、スズタケが混じる薮漕ぎに入る。
しばらく行くと、岩場にぶっつかった。これを避けて右に巻くよう迂回しながらの直登である。左側は絶壁である。ここらは踏み跡もない右下がりの急斜面で、小木に掴まりながら徐々に登っていく。ようやく岩場を巻いて、十一時三十分に再び尾根筋に戻る。左側にコブが見える。薮の中に「境界線」と書いた十㌢角のコンクリートの標柱が埋設されている。ここらは大薮で保護用の眼鏡をかける。同四十二分、伸び上って南方の上空を見ると、頂上の鉄塔が見える。後、十五~二十分位と見当を付ける。同四十五分、又も新たな岩場の北面に来たが、この縁を直登していると、少し前方が開けてきて山頂の近いことが判る。あちこちの樹にテープが巻き付かれている。ここを登り切ると、十二時五分山頂である。登山口から一時間十五分を要した。
頂上でまず眼につくのは、送電鉄塔とその直下にある四国電力の金属標柱である。三角点かと思ったが、ほんとの三角点はここから東に十三㍍位行った所にある。昭和四十七年に選点された比較的新しいものである。
すぐ東は、目が眩むような絶壁で鋭く下方に削ぎ下って、上方には同じ方向に送電線が走っているが、一体どうやって線を引き回したものかと、しばらく考え込んだ。山頂付近はかなり広い円形で半径五~十㍍位あろうか。周囲の木々はかなり伐採されており、北西と南東方面に展望が開ける。風は吹き曝しである。
北西に見える送電線に並行して管理道が見える。因みに、この山へ登るのにもう一つのルートがあって牧場からこの道を歩くのであるが、標高差は百五十㍍だが、約一・五㌔の歩行を強いられる。
十三時二十七分、下山開始。往路を辿って十四時二十二分に駐車地着。五十五分を要した。同三十四分、車で出発。仕事中のダンプは道脇に寄せてくれていた。
途中、北方の三滝山中腹に「小金滝」の大瀑布がはっきり見えた。
十五時十五分、小金滝橋を通過した。