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スズタケだらけの熊谷山

平成十九年四月二十九日、快晴。

友人と二人で土佐町と大川村境で東西に連担する能谷山塊のうち、三角点のある能谷山(のうたにやま・一一六二・四㍍)を目指す。この山塊は、稲叢山、西門山、東門山等から稜線続きの東側に連座しており、知る人ぞ知る名峰といわれる。



左 か ら 能 谷 山 、 北 能 谷 山 、 東 能 谷 山 、 一 一 六 八 ㍍ の ピ ー ク


三 角 点 の あ る 能 谷 山

詳 細 地 図

中 央 赤 三 角 が 能 谷 山


白 丸 は 駐 車 地

この日、八時五分に高知市を出発。高速道に入り、同五十分、大豊IC、ここから国道四三九号線に入り、土佐町土居で右折して早明浦ダムを北岸に渡り、西に走る。九時二十九分、大川橋(六六・一㌔)を渡りすぐに左折して県道高知伊予三島線を南下する。次第に瀬戸川渓谷の景観が見られるようになる。同三十九分、川奈路地区の「葛籠山林道」に入る三叉路(七十七・二㌔)に着く(標高・四一〇㍍)。この林道は昭和五十年から平成元年まで三十年をかけて急峻な山腹の難工事に取り組み、総延長三・三㌔を逐次完成させたもので、地区民の積年の悲願であったという。また、三叉路の南には「河内神社」があり、樹齢七百年・樹高四十三㍍の夫婦杉が売り物である。



右 が 葛 篭 山 林 道

この林道は直ぐに未舗装の荒れ道になり、傾斜もかなりきついのでのろのろ運転になる。十時一分、最初の三叉路に来たが、左に進む。右の道は少し荒れているが、終点まで車で行ける、これについては後述する。

途中、能谷山連峰が一望のうちに眼前に迫って来る。中央に見える山腹が絶壁の岩場をもつピーク(一一八五㍍、以下「東能谷山」という)で一番山容がよいが、これには二度挑戦し失敗することになる。今回登るのは左方の三角点の山である



東 能 谷 山  上 空 に 飛 行 機

十時十分、林道終点(林道入り口から四・二㌔、八五〇㍍)に着く。高知市から七七・二㌔、二時間五分を要した。ここには植林伐採に従事している事務所の小屋があり四、五人が仕事をしているが、皆仕事に出払っている。一日二回大型トラックが来て原木を運んでいる。この付近の山は嶺北森林管理署が管理しているようだ。仕事の邪魔にならないような場所に駐車させてもらう。



作 業 道 入 口

準備を整え、十時十八分に登り始める。駐車地から五〇㍍位戻ると、右(北方)に新しく作業道が敷設されている。この作業道は道幅は広いが傾斜がきつく乗用車は勿論四輪駆動のジープでも走行はできない。ここでは原木運搬に「不整地運搬車(ゴムクローラキャリアダンプ)」が使用されているが、一見すると上覆いのないキャタピラーの戦車のように見える。この道は傾斜が全般に三十度位あり、息が切れて掴まる木がないのでずるずる滑る。これを延々三十分登ると十時四十八分、三叉路に来るが、左の道をさらに進む。なお、右側へ行くと、谷の向うの藪の中にチラチラと作業道途中から見えた東能谷山の岩壁が見えるが、ここへは帰路挑戦することになる。


 

この三叉路から九分進んだ十時五十一分、尾根を削った峠の奈路のような所へ着く。ここの右手の尾根に登山口(一一二〇㍍)がある。駐車地から三十三分を要した。



登 山 口


同五十七分、登り始める。初めは、背より高いスズタケと雑木林を掻き分けながら進むが、十一時十四分頃から桧と雑木の混合林のやや道筋がはっきりした登山道を行く。上空が透けて見えると思うと、同二十五分、いきなり山頂である。東から西に入る。駐車地から一時間七分、作業道の登山口から二十八分を要した。ここには平成十二年に選点埋設した四等三角点の金属標柱がある。直ぐ南に五〇㌢のアセビ、周囲は南北二㍍、東西四㍍位の広さで日当りがよく蔭がないが、余り高くない雑木が生えている。南にはどっしりと大きい奴田ノ山(一〇九四㍍)、東に東能谷山、西に稲叢山、北には峰続きの鋭い山峰(一一九〇㍍、以下「北能谷山」という)が見える。この北の尾根筋には微かな踏み跡があるが、やはりスズタケが密集している。


 


奴 田 ノ 山 。 右 に 放 牧 場

十二時八分、下山開始。同二十五分、登山口着。同三十二分、三叉路に来た。前述したようにここで左に作業道を進むと直ぐに終点になるが、その左側には樹間から屹立する東能谷山の中腹の岩壁が直ぐそこに見える。しかしここを南面から直登するのは無理なので、その右の谷横を直登して一旦稜線に出、そこからピークを狙うことにした。


十二時四十分、登山開始。勿論、道はない。一時九分、植林地帯を抜けると、ここも背より高いスズタケの藪と雑木林に入る。同十四分、稜線に飛び上がった。北東に目指す東能谷山が望見されるが、ここから急降下しており岩場も見えて、とても近づくことはできないと諦める。この山は南からは見えなかったが、西から望見すると北側は一面の植林になっていることが判った。この山には北から植林の中を登るのだろうか?スズタケの藪より植林地の方が歩きやすいのである。


 

東能谷山を諦めて、反対側の西方にチラチラ見える北能谷山を目指すことにする。スズタケの藪を息を切らせて登り切ると同三十九分に尾根、ここを右に行くとコブを一つ越えて一時四十七分、付近では一番高い北能谷山(一一九〇㍍)に来た。石鎚山、稲叢山が遠望され、西に三角点のある能谷山、東に北側が植林された東能谷山が見える。ここから南東に尾根筋を少し歩いてみたがやはり荒れたスズタケ道で(能谷山に続いているのだが)、引き返して下山開始。二時四十四分に作業道終点着。三時丁度、ここを出発し同二十八分駐車地に着く。



北 能 谷 山 頂 上


東 能 谷 山 、 北 面 は 植 林


五月八日、快晴。林道から見える山腹に絶壁の岩場をもつ東能谷山に未練があって再度挑戦をした。西からは無理ということが判ったので、今度は東から登ろうという計画である。


詳 細 地 図

この日、七時五十五分に高知市を出発、前回と同じルートを通り、九時四十五分に葛籠山林道に入る。十時七分に三叉路があり、今度は右折してやや荒れ気味の林道をゆっくりと登山口を探しながら進む。途中、谷を直登するルートがあるように思ったが、さらに進んでいると何時の間にやら終点に来た。この先は断崖になっているが、直ぐ左側に岩を巻く道を発見したので、ここから登ってみることにする。このルートを林道から見ると、三合目までは支尾根の植林と自然林の境界を登り、これから後は自然林、稜線付近は再び植林となっている。稜線に飛び上がったら、これを西に進む積もりである。しかしそうは問屋が卸さなかったのである。準備を整えている最中、直ぐ横の林道の真ん中でまむしが日光浴をしていた。




右 端 が 林 道 終 点 で 登 り 口 、
こ こ か ら 左 に 攀 じ 登 る

十時四十三分、出発。登り始めは道はよかったが、次第に荒れて来、植林を過ぎる付近から道筋がなくなり、またも背より高いスズタケの密集地を直登する。歩行はかなり困難となり、大露岩にぶっつかり大きく迂回する。同五十五分、自然林と植林(右)の境目を行く。十一時十五分、人工の石垣のような所へくる。ここでもまむしに出合ったが逃げていった。同三十五分、大きい露岩にまたもぶっつかり右に迂回して、さらにスズタケを押し分けながら急斜面を直登する。上空が透けて見えるように思うが、なかなかである。


 

一時十分にようやく稜線に飛び上がった。駐車地から二時間二十七分を要した。北側は植林でスズタケの踏み跡が西に続いており、目指す東能谷山は目視できるが、程遠い。ここで食事した後、少し歩いて見たがこのスズタケの藪はどこまでも続いているようで、最早ここまでと前進を断念した。道がよければ四十分位の道程だが、この藪道では二時間を要すると思われたし、体力の消耗が懸念されるのである。キャンプをすれば目的地に行くことができるだろうが、残念である。



こ の 上 に 飛 び 上 が っ た 、 北 側 は 植 林 だ っ た


二時丁度、下山開始。目的を果たせなかった下山は力が入らない。四時十二分に駐車地に着いたが、二時間十二分を要した。


この能谷山塊は、どこへ行っても植林以外の雑木林の下草は、二㍍以上のスズタケの藪で、稜線は微かな踏み跡はあるが歩行はかなり困難である。縦走は多大の苦役を強いられて実行は殆ど不可能と言ってよい位である。稜線北側の植林地を歩けばどうなるのだろうか?なお、今回歩いたすべてルートの要所に目印を付けた。

(平成十九年六月記)


(参考) 四国山地に生えるササの主な種類