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薮 漕 ぎ の 正 木 の 森

平成十八年八月四日、晴時々曇り。

友人と二人で懸案だった正体不明の「正木の森」(まさきのもり、一三六五・三㍍)を目指す。「正木」は「柾」のことで、ニシキギ科の常緑潅木を指すのだろうか。



正 木 の 森 。中 央 が 図 根 点 の あ る 「 一 三 七 三 ㍍ の ピ ー ク 」 、
そ の 左 が 三 角 点 の あ る 「 一 三 五 六 ・ 三 ㍍ 」 の ピ ー ク と 思 わ れ る 。
右 の 鞍 部 が 本 来 の 登 山 口


山 頂 付 近

 登 山 詳 細 地 図  

青 線 は 車 道 ( 県 境 の 鞍 部 か ら は 未 舗 装 の 林 道 で、P 点 か ら さ ら に 続 い て い る )、
 赤 線 は 登 山 道

この日、先ず天狗高原の「天狗ノ森」(一四八四・九㍍)に登った後、天狗荘の駐車場からこの建物を右に巻いて二車線の車道を一・六㌔下った土豫国境の天狗ノ森と峰続きの鞍部にある登山口(一二六五㍍)に向う。



中 央 上 の 凹 部 が 削 り 取 ら れ た 登 山 口

ところが、ここの鞍部は写真のように林道建設のために削り取られため、登山口は切り立った断崖の上にあって登ることができないのである。そこで、ここから右の林道に入り、ゆっくりと左に進みながら適当な登山口があるかどうかを探していく。二〇〇㍍ほど行った所が取り付き易いと思われたので、ここで駐車(一二六〇㍍)。この先では伐採した原木を搬出しているらしい。


先ず、友人がここの絶壁をどうにか攀じ登って、尾根道の存在を確認したので、改めて、身支度をして十四時二十分、登山開始。やや遅きに失したが意に介さない。ここから約六〇〇㍍の道程である。



ま ず は 偵 察


尾 根 道 を 探 る 友 人 (中 央 右 の 樹 間)

尾根筋には微かながらも踏み跡があり、これを頼りに進む。いきなりコブがあり、次いで急降下する。ここからは樹林とクマザサが混じるスズタケの藪を交代して掻き分け、鎌で刈り払い、踏み潰しながら進む。



尾 根 道 に 飛 び 上 が る


鎌 を 振 る う

登山口と 頂上の標高差はわずか一〇〇㍍余りだから急な道ではないがルートが定かでないので慎重に見極めながら一歩一歩前進する。途中、二人とも二回転倒した。これで判ったことだが、スズタケを踏み潰しながら進むとき、右足を使うと左足の上に稈が被さるので、これに脚をとられて転ぶのである。つまり踏み潰すのは左足でなければならないと言う妙なことに気が付いた。

途中に二か所の露岩があり、これを迂回して進む。また二か所に境界杭(県境か?)、古い赤テープを三~四か所で認めた。


前方が透けて見えるので山頂かと思うが、行ってみるとその先にまた山がある。このようなことを何度か繰り返して、もはや精も根も尽きかけた頃、突然、山頂に躍り出た。十五時四十分、一時間二十分を要した。これは一㍍進むのに八秒、一分かけて七・五㍍進んだ計算になる。平地の歩行に較べると八分の一程度の鈍行振りである。



山 頂 広 場 と 石 柱


ここはクマザサが刈られ直径四㍍位の円形の広場になっており、西隅に四等三角点らしい石柱があった。思わず二人は握手をしていた。

この石柱には「松44」の彫り込みがあった。もしこれが松山営林署の図根点(この山は国有林)のようなものであるとしたら、三角点は別の場所にある筈だと、二人であちこち探して見たが、これから先の東西北方は急降下しており何も発見できなかった。可能性があるとすれば、北西の方向に一五〇㍍位降ったところか?しかしもうこれ以上の体力と気力と時間は残っていなかったのである。注、吾川郡仁淀川町田村のG・Oさんから九月六日、以下のメールを戴いた。(…「正木の森 」読ませてもらいました。今年四月に行きましたので 、懐かしく読ませていただきました。三角点はピークより北西にあり,一度下りまた登り返しがありますが、十分か十五分くらいだったと 思います。私の所要時間は一時間でした…)


そこでわれわれはこの石柱付近を山頂であることに決めた。ここが付近で一番高いのである。

展望は全く利かない。北に二本の大きいブナ、西にこれも大きいモミが見られる。一帯は樹林で覆い尽くされている。そう云えば、登り始めて山頂まで展望の利く所は一か所もなかった。スズタケと樹林だけを見ながら登ったことになる。



ブ ナ の 大 木

十六時五分、下山開始。降りは登りと違ってやはり道筋を誤る。いつの間にか尾根筋の左側に寄っていくのである。所々で修正をしながら進むが、登って来た道を辿ったことは殆どなかったように思う。いつの間にか私は鎌を無くし、友人の手拭も消えていた。





最初に取り付いた尾根筋の地点に戻る。

ここから絶壁の直降である。二人は一本の杖を握り合いながら滑るように一歩一歩慎重に降下していたが、遂に友人が滑落した。幸い怪我はなかった。ようやく林道に降り立ったのは、十七時十分、頂上から一時間五分を要した。

そこへ一台の車がやって来た。二人の若者が乗っていたが、われわれの車が変な場所に駐車していたので再度巡視に来たものらしい。

いきなり、「どこへ行っていましたか」と聞くので、「この山だ」と指をさすと、驚いたような顔をして、「この山へ登れますか」と聞くから、「道はないが、頂上まで行って来た」と答えた。さらに、「どこから登りましたか」と聞くので、「この上の絶壁を攀じ登った」と言うと、大いに驚いた様子で、「私どもにはとても登れません」と呆れ顔で云った。最後に、鞍部にある「通行止めの柵をお願いします」、と云って帰っていった。なんと、この林道は通行止めになっていたのである。

十七時二十分、車で出発。天狗荘に戻り、冷えた飲み物で喉を潤おした。自宅には十九時二十分に着いた。


国土地理院の二万五千分の一や市販の二十万分の一の地図等を見ても判ることだが、どういうわけか「正木の森」の扱いが大きいので、これでは誰でも登ってみたくなるのである。しかし登山口はなく、スズタケを掻き分けながらの登りである上に、展望がゼロで見るべき所もなく、そういう意味では魅力に乏しい山と言えよう。

われわれのつむじ曲がりは自明だが、このような山にも魅力を感じるのは何故だろう。多分、山そのものの存在を意識し、これに登ることに無上の悦びを味わうからであろうかと思ったりする。

しかし登山口のない藪漕ぎのこの山に登るような物好きは、今後ともいないだろうと思う?
  (平成十八年八月記)




【追 記】

山頂にあった石柱について高知森林整備局に問い合わせしたところ、以下の事が判った。

1、 石柱は松山営林署が昭和三十年頃に埋設した図根点で愛媛県側にある。

2、 「松44」の意味は、松山営林署が各所に埋設した図根点の通し番号である。

3、 この図根点の位置は、緯度は33度 29分 13秒 826、経度は133度 00分 56秒 598 である。