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佐川町最奥地のシラザレ

平成十九年一月十四日。終日、一点の雲もない稀に見る快晴。 

佐川町最奥地の尾川地区に聳える「シラザレ」(五八三・三㍍、点名・尾川)を目指す。山名のような石灰岩のザレ場を期待していたが…




詳 細 登 山 地 図


赤 旗 が シ ラ ザ レ


青 線 は 車 道 、 赤 線 は 登 山 道

 友人と二人で、八時二十五分、高知市出発。国道三三号線を西に進み、JR佐川町駅前(二九・三㌔)で左折して国道四九四号線に乗り換え、約一㌔進んだ猿丸峠で右折し、柳瀬川を渡り川沿いを西に走る。この川はそのうちに尾川川と名前が変り、大きく左折して南下すると、登り口の集落・小奥の小橋に着く(一七九㍍、JR佐川町駅前から一〇㌔)。道を誤ったので、少し遅れて九時四十三分着。一時間十六分を要した。途中、伊野町枝川を通過した時、西前方にくっきり異様に白い鳥形山が見えたが、このような事は珍しい。空気が澄み切って見通しがよいのである。

この小奥集落は想像以上に民家が密集しており、生活道が縦横に走っているので、地元の初老の男性に道順等を聞く。大変親切な方だったが、何故、このような山へ登るのかが余程気になると見えて、逆にいろいろ質問してくる。これに対する回答は難しい。説明するほどに理解が困難になって来た様子で、次第に「変わり者」を見る目付きになってきた。

 十時十五分、小橋を車で出発。初めは舗装された三・五㍍位の生活道だが、その内にかなり荒れた作業道となり、歩行と同じ位の速度で進む。何度も腹を擦り、車輪が空転した事もあった。同四十分、峠のような所(「たかケ嶺」、五〇〇㍍)へ来た。少し広くなった所へ駐車。小橋から二・六㌔、二十五分を要した。ここまで歩いても時間的にはあまり違わないだろう。この先、さらに作業道が続くが、東へ七良谷に下り、中村集落にも通じているという。



左 に 登 山 口


登 山 口

 十時五十分、峠右の登山口に入る。いきなり桧の植林の中を南西に進む。道は広く歩き易い。複数の放棄田があるが、いずれも植林されている。同五十八分、自然林になるかと思うと、いつの間にか植林に入る。自然林は松が多く、竹が混在する。




 十一時十八分、真っ直ぐに通じている本道を採らず、左の踏み跡のある尾根の小径を登って行くと、同二十九分、「地籍図根三角点」が打ち込まれた地点(五二〇㍍)へ来た。ここにはプラスチック製の赤い図根点がコンクリートで固められ、その直ぐ横にこれもプラスチック製の白い三角点の杭が打ち込まれている。ここが「東シラザレ」の山頂である。付近の切り株の状況から二年位前に国土調査が入ったものと思われた。周辺は植林の桧が伐採されて一〇×二〇㍍位の矩形の広場になっており、二本の倒木がある。北と西は植林、南は自然林、東は尾根筋を境にして南が自然林、北は植林で、少し殺風景。展望は全く利かない。


 十一時三十九分、ここからシラザレを目指してさらに南西に進む。同四十七分、歩き易い本道に合流する。同四十九分、鞍部に下ってから登りになるが、いつの間にか自然林に入っている。ここら辺りから潅木が根元の上で切り払われた道が続く。国土調査時に藪化した道を切り払いながら進んだものと見える。お蔭で歩き易いが、この切り株に靴がぶっつかってつんのめそうになるし、切り口が斜めに鋭く削げているので転ばないように注意深く歩く。



中 央 左 に 斗 賀 野 、 中 央 右 に 虚 空 蔵 山

 十二時丁度、やや開けた尾根道を進む。樹間から南東方面に、直線距離で七㌔離れた虚空蔵山、斗賀野の町、太平洋が見える。同十九分、標高五七〇㍍のピークに来た。北は植林、南は自然林である。同三十一分、北方に視界が開け、石鎚連峰がくっきりと望見できる。因みに、ここから石鎚山までの直線距離は三六㌔、筒上山まで三〇㌔、黒森山まで一四㌔だが、この三六㌔という距離は、高知城から須崎市安和、安芸市土居、奥工石山、手箱山へのそれに相当する。如何にこの日の空気が澄んでいたかを物語るものである。しかしこの時期に雪が見えないのは異常で、東方の笹ケ峰方面がわずかに雪が輝いているようだ。ここからさらに南に進む。



左 に 石 鎚 山 、 中 央 に 筒 上 山 、 手 箱 山 、 右 に 瓶 ケ 森 、 西 黒 森 、 中 央 右 手 前 に 黒 森 山

 十二時二十六分、感じの出たピークに着く。付近を探っていると果たして三角点があって横に赤白の直ポールが転がっていた。三等三角点・シラザレの山頂である。駐車地から一時間三十六分を要した。東シラザレでの滞在時間を差し引くと、一時間二十六分になる。



 山頂付近は、植林の桧が伐採され倒木もあって、やや広い広場になっている。立札のような残骸が二つあったが、何れも原形を留めないほど朽ち果てている。ここ数年は殆ど人が入った形跡がないように見える。展望は全く利かないし、ここもやや殺風景である。南にさらに道があるが、進めば葉山村に通じる尾根道に乗るものと思われる。

 十三時三十九分、下山開始。潅木の鋭い切り株に注意しながら下降する。途中二回、眼の付近を厭と言うほど小枝にしばかれたので、度なしの眼鏡をかける。

十四時十八分、東シラザレへ向う三叉路に来るが、ここは本道を下る。同二十四分、東シラザレへ向う下の三叉路。同三十五分、右に多数の露岩があるので、立ち寄ってみたが石灰岩だけでなにもない。



 本道を少し下った所の右の上空に大きい岩場が見える。接近する小径があるようだが、時間の関係で諦める。

 十四時五十九分、駐車地に着く。山頂から一時間二十分、途中の道草を差し引けば一時間十分を要したことになる。

 十五時十七分、駐車地を出発。同四十五分、小奥の小橋。佐川町駅前に十六時四分、自宅には同五十分着。



          ◇          ◇


 「佐川町最奥地」という題名だが、地形的にはそういう感じがするのである。しかし車道が整備されているので、小奥から佐川町中心街まで二十分弱、高知市まで一時間と時間的距離は意外に近いのである。

 山頂の所在は、点の記によれば、「高知県土佐国高岡郡尾川村大字古畑字シラザレ三八〇の八、俗称シラザレ」(昭和二十六年)とある。山名のようにザレ場があるのではないかと、注意して歩いたが発見するに至らなかった。佐川町にもこのような奥地の山があるのを発見したことに満足した山行きだった。

 なお、当時の登山順路について次の記載がある。「尾川村役場ヨリ佐之国ニ通ズル道路ヲ約一粁西方・本郷ニ達ス ココヨリ左側・橋ヲ渡リ製材所前ヲ通リ南ノ稜線ノ上ヲ登ルコト四粁ニシテ本点ニ達ス」と。即ち、松の木集落の川向かい(一四〇㍍)からいきなり尾根筋を攀じ登るルートである。

 (平成十九年一月記)