四国の山なみ保存計画十八弾
古典山岳文献 四国の山山 の中から 鳥形山 を紹介します
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四国の山山 ~ 鳥形山
秋も深くなる頃、晴れた日に、夕陽を背にした富士形の高山が高知市付近から西方の空に遠望される。
〝山のあなたの空遠く幸住むと人のいう″
カール・ブッセの有名な詩句を連想して、
郷愁に似たものを感じさせるその山が鳥形山(一四六〇㍍)である。
昔の鳥形山
現在の鳥形山(平成十八年)。
一五〇㌧級のダンプトラック二台が見える。
上の写真の左のコブが、下の写真の左のそれと同じ
この山は土豫国境近くに聳えている。
嘗ては交通不便のため、登行者は大桐から山越えするか、名野川から徒歩で長者部落経由で麓の泉川部落まで行かなければならなかった。
近頃、国鉄バスが長者まで運行しだし、長者から山麓の泉川部落間、約四㌔を歩いて登行すればよくなった。
例えば、麓の泉川中学校で一泊し、翌朝八時ごろ、学校のすぐ前の橋を渡って登山路を登る。
道路は真っ直ぐで大変よく整備され、中腹の泉部落までは楽に登行される。
泉から石神峠へ辿る。
この峠から遥かに古式な祭礼で有名な秋葉神社の鎮座する別枝の部落があり、吹き上げて来る涼風が何ともいえない。
ここから道は左に分かれて細道となり、嶮しい登路を南に向って登りに登る。
しばらくすると白い花の植物が群落している平らな場所へ出る。
ここから頂上は近い。頂上は石灰岩の大露頭が至るところに見られ、眺望は広々としている。
北には仁淀渓谷を隔てて、中津明神山が指呼の間にあり、北西には大川嶺の連峰、北東には遥かに石鎚山の連峰が望見され、西方には大野ガ原の一部が隠見し、南方は東津野の不入山、鶴松森、東方には横倉山、蟠蛇ガ森、晴れた日は遠く高知市の西方まで見渡される。
中学校からの所要時間は二時間位である。
南の麓に硫化鉱を採掘する長者鉱山があり、この方へ降りるコースもあるので、日程があれば鉱山の見学を予定に入れるのも面白い。
(「四国山脈」より・昭和三十四年、川島 慶太郎)
鳥形山
鳥形山(一四五九・七㍍)は剣山、石鎚山に次いで四国屈指の名山である。
村の西方にあって、丁度鳥が翼をひろげたような形で、その雄大な姿は男性的であり、また自然美の表徴である。
昔も今も村人から仰がれ親しまれてきた。
往古は矢筈に似ていることから矢筈山と称し、今なお矢筈山とも呼ばれている。
高知市や越知町から西方を望むと、富士の秀麗にもさも似て、薄青くそびえ立っている。
矢筈山といえば、だれも知らないものがない程世にも知られている。
村では矢筈山といわず 鳥形山と呼んでいる。
鳥形山一帯は平家落人の伝説地としても有名で、文治三年(一一八七)八月安徳帝が都村から横倉山の行宮に御遷幸の途中、
帝滞ケ平の西方字岩屋ケ平の岩窟、通称<八畳岩屋>に暫時御休憩のとき、源氏になぞらえて白鳥を飛ばし、
これを的とされ、御弓を引かれたとき、弓は白鳥の片羽にあたり、白鳥は片羽のまま、遠く青空へ飛んでいった。
天皇はこの白鳥の飛ぶ様を御覧になって、この山を<白鳥(しらとり)片羽山>と宣われた。
いつしか略されて、鳥形山と呼ぶようになったと古老は語っている。
昔の鳥形山
白線の上部が露天掘りによって消失している(推定)
現在の鳥形山。平成十六年
いつから鳥形山と言ったかを詳らかにすることはできないが、
天保七年(一八三六)六月二十五日、
長者村庄屋代高橋重兵衛の深尾家佐川立山の指出書に
「鳥形山。但樅、栂少々有之専ラ雑木生立。」
と記されている。
また明治十一年九月、高知師範学校出版、茨木定興著、高知県管内土佐国地誌略に
「鳥形山ハ、泉村、大植村、連山ノ間巓ニ在リテ、特ニ峻絶ナリ。山巓凹形ニシテ、遠ク之ヲ望メハ、箭筈状ヲナス。故二又箭筈山卜称ス。」とある。
長宗我部地検帳に刑部薮村矢筈峠の地名があって、今に太郎田から東津野村芳生野に越す峠を矢筈峠と称し、矢筈山の名称は、この矢筈峠によって漸く余命を保っているに過ぎない。
鳥形山は予土国境の峰に続き、西に延びて大引割、天狗高原を経て大野ケ原に達し、鳥形山脈の主峰をなしていて、カルスト地形としても有名である。
鳥形山の中腹には帝滞ケ平(桟敷ケ奈路)という高原があって、牛の放牧場で、黒、赤、まだらの大小の牛が、ところどころで、草をかんでいる風景は、いかにも、のどかである。
また鳥形山の麓には長者川と白石川の渓谷が流れている。
土佐州郡志に
「鳥形山、高可一里、其麓有刺木之奈路、方言謂地平処日奈路。」
「川股矢筈麓二流」とあって、山色水光極めて絶佳である。
殊に鳥形山は高山植物も豊富で、牧野富太郎博士が特産<鳥形ハンショウゾル>を発見以来有名となり、イワギク、キンキマメザクラ、フキヤツツバ、ユキワリソウ等幾多の高山植物が繁茂していて、高山植物の宝庫とされている。
高知市からの登山者は、土讃線佐川駅で下車し、国鉄バスで二時間、近代化の国道三十三号線を迂余曲折の仁淀川に沿ってさかのぼり、上仁淀橋から森に至り、長者川をさかのぼって、登山口泉川に達する。
ここを流れる泉川渓谷は、長宗我部地検帳に「西谷村、五葉嶺ノ東泉境」とある五葉松で有名な五葉峰から源を発し、岩間を縫って奔流し、長者川に注いでいる。
ここが泉川と長者川の合流点で、海抜三百九十㍍である。
この<泉川渓谷>は水清くとうとうと奔って岩に砕け、水音谷間にこだまする。
春ともなれば、玉をころがすかのような鶯の美しい声が流れてくる谷間に、アメゴをつる姿も棄て難い。
この渓谷は夏は冷たく、冬は温かで水煙さえ立ち昇る。
陽光がさんさんと降り注いで、まぶしい程若葉に照り映え、目を射るような初夏に郭公、時鳥の声高らかに、この山峡に飛び交わし、渓谷に青藍海苔を採る乙女の姿が、ちらほらと見える風景は、風物詩ともいうべく、一入渓谷の魅惑と清々しさを覚え、全く楽園地である。
この登山口泉川から、えんえんと坂道を登り、鳥形山の頂上までは約七㌔で、登る時間は二時間から三時間もかかる。
また楽なコースは、長者駅から自動車で十二㌔を、海抜一千㍍余の石神峠の無人マイクロウエーブ経て走ると、一時間足らずで頂上に達することができる。
土佐州郡志に「鳥形山在泉村西自山下至山上行程一里許。」とある。
無人マイクロウエーブのあるところは、もう視野も広くなり、秋ともなれば、眼下の山々は紅葉に飾られ、まるで錦を広げたかのようで、その美しい風景に見とれて、人々はここを去ろうともしない。
ここから小さな険しい道をよじ登ると、もう高山へ登ったという英雄感が、そぞろにわいてくる。
近くは伊予柳谷村の家々、遠くは久万の山々を北に見つつ‥…、
いつの間にか頂上近くの<加良池奈路>という小さな高原に着く、
ここは東の森と西の森の中間にあって、東西百五十㍍、南北百七㍍の高原で、長さ四十五㌢ら六十㌢の寝笹でおおわれ、丁度青畳を敷いたかのようで、樹間を歩むと、さわさわと静かな音を立てて、まるで浅瀬を渡るかのようである。
この笹は学名を<都笹>と呼んでいる。
東の森に登る路傍に<加良池>という池の跡があって、
直径二十㍍、やや円形で、池の深さは底まで七㍍もあり、池の周囲には石灰岩が点在して、摺鉢のようである。
名のとおり現在は空地であるが、安政年間に記されたという土佐州郡志別枝村のところに
「鳥形山。在本村東山上有二峰。曰西之森、曰東之森。勢極高峻也。人有登臨。則四州之地在目中。又両峰之間有池、名加良池、水常不枯渇-、池辺有二桧峠宜立、曰華表、枝葉繁密也。」とある。
この記録によって、加良池はいつも水をたたえていたことが考えられる。
この他の跡はドリーネである。
西の森へはこの加良池奈路を横断し、傾斜の度がゆるやかで、いつのまにか登り、どこが頂上とも知れない。
この森一帯に山毛欅(ぶな)の大樹が茂っていたが、惜しいことに今は伐採してない。
森の南側は極めて険しく、千尋の幽谷ともいうべく冷気をさえ覚える。
東の森の頂上には大きな石灰岩が累積して、展望台のように小高くなって、三角点がりあり、四州眼下にあるの感がする。
真下には帝滞ケ平の高原が手に取るように見える。
南には洋々たる太平洋が一望の中に収め、北に中津山(一五四一㍍)、南に不入山(一三三六㍍)を控え、東北には四国アルプスの山々が重畳として、偉容な姿で薄青く大空に溶け込んでいる。
東は高知、香長の平野が薄黄金に光り、はるか東方には土佐湾を囲んだ室戸岬の峰が一線を引いたように太平洋に突出し、青黒くかすんでいる。
頂上のながめ、遠近指顧の間にあって、山岳の一大景観ともいうべく、詩的情緒に満ちて、そぞろに四方(よも)の自然美に陶酔するのである。
(仁淀村史・昭和四十四年)
鳥形山石灰の開発
重工業の発達と、経済の高度成長によって、農山村の人口が工業都市へ流出し、過疎現象を生じていることば既に述べてきた通りである。
これが防止対策としては、農業構造改善事業、林業構造改善事業、山村振興事業と相まって、地場産業の開発が急務である。
地場産業の開発としては、多年の宿望であった鳥形山の石灰開発より他にないのであるが、
たまたま黒滝の長者鉱業所を経営していた兵庫県加古川市別府町の多木製肥所から、黒滝八三八ノ四、山林十二町歩を昭和四十一年十二月二十三日に、東京都千代田区丸の内二丁目二十番地、日本鉱業株式会社が買収することによって、将来鳥形山石灰開発を計画していたことが開発の端緒となったのである。
日鉄では地質調査を行なってきたが、その結果、石灰の質が極めて良質で、埋蔵量も五億㌧から十億㌧といわれ、日本でこれに匹敵する石灰岩はないといわれて、前途が有望であることが判明した。
そこで村においては鳥形山石灰の早期開発を促進するため、
昭和四十二年八月三十日の仁淀村臨時議会において、村有林別枝宇日比原二七七一番、山林九十七町一反二畝二十歩のうち六十五町歩を実測によって日鉄へ移譲することを決議したのである。
民有地についても標高八百㍍から頂上までを買収することとなって、
同年八月十五日から昭和四十三年四月二十日に至って、台帳面積山林百八町九反七畝十九歩を実測で、鳥形山、黒滝、タカシルキ、西畑、小黒滝の百七筆を所有者名儀四十二人から買収した。
昔の鳥形山白線から上が露天堀で消失している(推定)
県においても鳥形山石灰開発について、企業誘致条例を適用して積極的に取り組み、
また村が開発誘致について努力した結果、日鉄では急速に計画が進み、
昭和四十三年六月から本格的に開発することに決定し、
本村における重要地場産業として実現することとなった。
これが開発に伴い、昭和四十三年五月二十二日
西森村長、仁淀村議会議員一行は栃木県安蘇郡葛生町大字会沢一一三二番地の日鉄の葛生鉱業所会沢鉱山を視察した。
この鉱山は秩父古生層に属し、砂岩、チャート、粘板岩、頁岩、
輝緑凝灰岩及び石灰岩の互層をなし、鉱床の構造は上部より石灰層、ドロマイト層、
下部は石灰層からなり、採掘鉱区の面積は二、四二七㌃。
ドロマイトは硝子、耐火炉材、陶器の原料とし、
石灰石の砕石は道路用の他にコンクリート骨材として生産している。
鳥形山石灰開発の実総面積は二百六十㌶といわれ、日鉄においては、開発計画を樹立して、昭和四十三年六月から十二月までに調査、計画、設計を完了する。
また昭和四十四年一月から開発工事に着手して、昭和四十六年一月に完成する。
同年四月から年産三百六十万㌧の生産を開始し、昭和五十年以降は日本最大の年産七百二十万㌧から一千万㌧の操業に増産計画を計画を立てている。
採掘方法はベンチ(階段式)採掘法で、
鳥形山頂上からベンチの高さ十㍍から十五㍍の階段露天採掘をダウンザホールドリル、ドロップボール、クローラーブレーカーで行ない、
五㌧から六㌧級のパワーショベルで、三十五㌧級のダンプトラックに積載し、投入坑井に投入、
第一次、第二次のクラッシャとスクリーン一台にかけて破砕し、貯鉱井から坑外に水平ベルトコンベヤーで引き出し、千二百㍍のダウンヒルコンベヤーで標高四百五十六㍍の小黒滝に運搬し、ここから墜道の長距離ベルトコンベヤーで葉山村杉の川を経て、須崎市角谷崎に運搬する。
長距離ベルトコンベヤーは延長二十㌔四百㍍で、ベルトの幅は一・二㍍、
能力は毎時二千㌧である。
角谷崎には選鉱場が設置され、第三次、第四次、焼結の各クラッシャー、スクリーン四台によって中割、小割、細割にして選鉱するのである。
これ等鉱石の貯鉱と払出はスタッカー、ジプローダーで行ない、船積みには繋船接舷ドルフィン六基を備え、桟橋は六千㌧と二万㌧の貨物船が横着けができるものを設置する計画である。
日鉄の機材運搬道路として、昭和四十三年六月に石神峠の鳥形無人中断所から鳥形山頂近くの加良池奈路までの自動車道三千七百㍍、幅員四㍍を着工して九月上旬に完成した。
目下頂上または下方から地下五百六十㍍以下のボーリングを三十ケ所実施中で、地下の構造を調査している。
更に横からもボーリングを実施することとなっている。
鳥形山石灰開発に伴い、県道大渡・長者・佐川線と長者から折合までの県道田野々・越知線、農道大植線、大植牧道の拡幅が、昭和四十四年度から実施される予定である。
また帝滞ケ平から東方に向かい北面を迂回して鳥形山頂に至る六千五百八十㍍の開発用の道路幅員四㍍も開設されつつある。
鳥形山は天狗高原を経て大野ケ原に至る四国カルスト地形で、県立自然公園に属していたが、開発に伴い、県立自然公園の指定を解除し、
鳥形山は高山植物の宝庫で、近く主要高山植物は他の地に移植される予定で、これら自然が失われることは、一般から惜まれているが、開発によって村の発展が期せられるにおいては、止むを得ないことである。
これら鳥形山開発に伴い、最初日鉄では、阿部求、竹内昌晴、香春照夫等の開発調査班を現地に派遣し、その後開発が着々と進められ、
昭和四十四年三月二十一目には鳥形山南面の開発道路、坑井、墜道の起工式が行なわれ、目下工事が進められている。
(仁淀村史より・昭和四十四年)
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日鉄鉱業(株) 鳥形山鉱業所
社名 日鉄鉱業株式会社(鳥形山鉱業所)
代表者名 鉱業所長 宮﨑尚介
本社所在地 高岡郡仁淀村大植一〇七六番地
創業(設立) 昭和四十六年四月 当所開設 五月生産開始
日鉄鉱業(株)昭和十四年五月設立
資本金 四一億七六〇〇万円(日鉄鉱業(株)平成十二年六月末現在)
従業員 鳥形山鉱業所従業員二四一名
協力会社一七五名(平成十二年四月一日現在)
事業内容 石灰岩等の製造・販売
沿 革
日鉄鉱業(株)が昭和四十一年に鳥形山石灰石鉱区を取得し、四十三年に開発開発計画に着手する。
四十四年四月に開発事務所を開設してから四十六年(一九七一)三月までの二年間で、長距離ベルトコンベヤーの設置、海岸選鉱・貯鉱施設、船積桟橋などの建設工事を完了させ、同年四月鳥形山鉱業所に改称し、五月より操業を開始した。
設備投資は、現在の金額に換算すると一千億円を超える額となる。
鳥形山鉱山
地質は、古生層の上部秩父古生層に属する厚さ三〇〇~五〇〇㍍の発達した石灰石で、下磐は粘板岩から成っている。
鉱床は、鳥形山山塊を中心に海抜九〇〇㍍以上に賦存し、鉱区内東西四四〇〇㍍、南北四〇〇~九〇〇㍍の範囲にわたり分布し、不純物が少なく極めて良質である。
(品位:CaO 55.4%、MgO 0.25%、Al2O3 0.04%、P 0.004%、SiO2 0.15%)
埋蔵量は、十億トン以上である。
石灰石の生産量・用途・出荷先
昭和五十八(一九八三)年に累計一億㌧、
平成四年(一九九二)に累計二億㌧を生産し、
十二年(二〇〇〇)二月には二十九年間で三億㌧を達成した。
国内需要の減少のため最近は、年間一三〇〇~一四〇〇万㌧の生産量で推移している。
鉄鋼(四十四㌫)・セメント(三十四㌫)・建設用骨材(二十㌫)をはじめ、ガラス・紙・肥料・医薬品などに活用される。
販売先は、新日本製鐵、N.K.K、神戸製鋼、中山製鋼、住友大阪セメント、太平洋セメント、宇部興産、三菱マテリアルなどで、
海外には、オーストラリア、台湾、香港などに輸出(約二十㌫)している。
(採石~船積行程)
採掘は、我が国鉱山最大クラスの重機を導入し、安全で効率的な採掘 を行っている。
運搬には、百八十㌧ダンプを使用している。
立坑に投入された鉱石は、一次破砕され須崎までの標高差八五〇㍍、全長二十三・二㌔を九基のベルトコンベヤーで運搬される。
その後、須崎で用途別に応じたサイズに二次破砕を行い、貯鉱場を経て須崎港から船で積出される。
環境対策
鉱山周辺の沢には、三十数ヶ所の砂防堤を設けて、土砂の流出や河川の汚濁防止を図り、除去した表土は、山腹に設けた堆積場に運び、樹木を植えて緑化している。
長距離ベルトコンベヤーは、自然の景観を損なわず、また騒音や粉塵を防ぐために、全長の九十三㌫はトンネルとなっている。
山あいは、防音装置を施した完全密閉のギャラリーとしている。
平成十一年一月にISO14001を取得している。
(高知県政策総合研究所・平成十二年訪問記述による)
少しでも読みやすくと思い改行を追加しています
改行以外は何も手を加えていません
感想
登山
この山は土豫国境近くに聳えている。
嘗ては交通不便のため、登行者は大桐から山越えするか、名野川から徒歩で長者部落経由で麓の泉川部落まで行かなければならなかった。
近頃、国鉄バスが長者まで運行しだし、長者から山麓の泉川部落間、約四㌔を歩いて登行すればよくなった。
昔は登山に行くのに最高の山だったんでしょう。。。
自分は行った事がありません
なんかね、、、見たくないし、、、
現在、遊歩道があるようです
車で行って、少し散策して、、、って感じですね
四国屈指の名山?
鳥形山(一四五九・七㍍)は剣山、石鎚山に次いで四国屈指の名山である。 村の西方にあって、丁度鳥が翼をひろげたような形で、その雄大な姿は男性的であり、また自然美の表徴である。 昔も今も村人から仰がれ親しまれてきた。
剣山、石鎚山に次いで名山!?
そんな凄い山だったの!?
今なら、、、開発反対で大騒ぎになってたでしょうね
名前の由来
鳥形山一帯は平家落人の伝説地としても有名
天皇はこの白鳥の飛ぶ様を御覧になって、この山を<白鳥(しらとり)片羽山>と宣われた。
いつしか略されて、鳥形山と呼ぶようになったと古老は語っている。
四国あるある平家伝説です
もう四国内は平家伝説ありまくりで驚きはなくなりますね(^^;
自分の母の田舎も山奥で、、、
墓参りに行った時、、、
『立派な家は平家の人の家』だって言ってました
戦で負けて逃げてきたとは言え平家は平家って事ですね
カルスト地形
鳥形山は予土国境の峰に続き、西に延びて大引割、天狗高原を経て大野ケ原に達し、鳥形山脈の主峰をなしていて、カルスト地形としても有名である。
鳥形山の中腹には帝滞ケ平(桟敷ケ奈路)という高原があって、牛の放牧場で、黒、赤、まだらの大小の牛が、ところどころで、草をかんでいる風景は、いかにも、のどかである。
また鳥形山の麓には長者川と白石川の渓谷が流れている。
天狗高原から続くカルスト台地だったのかぁ、、、
牧場もあって渓谷もあって、、、
天狗高原が残っているとはいえ鳥形山も残っていれば、、、
観光資源としても十分な魅力がありますよね
植物
殊に鳥形山は高山植物も豊富で、牧野富太郎博士が特産<鳥形ハンショウゾル>を発見以来有名となり、イワギク、キンキマメザクラ、フキヤツツバ、ユキワリソウ等幾多の高山植物が繁茂していて、高山植物の宝庫とされている。
えっ、、、、、、、、、、
発見って、、、、、、、、
高山植物の宝庫って、、、
来年の朝ドラで取り上げられるんだろうか。。。
鳥形山石灰の開発
地場産業の開発としては、多年の宿望であった鳥形山の石灰開発より他にないのである
日鉄では地質調査を行なってきたが、その結果、石灰の質が極めて良質で、埋蔵量も五億㌧から十億㌧といわれ、日本でこれに匹敵する石灰岩はないといわれて、前途が有望であることが判明した。
日本で匹敵する石灰岩がない!?
村としては苦渋の決断だったんでしょう
鳥形山は天狗高原を経て大野ケ原に至る四国カルスト地形で、県立自然公園に属していたが、開発に伴い、県立自然公園の指定を解除し、
鳥形山は高山植物の宝庫で、近く主要高山植物は他の地に移植される予定で、これら自然が失われることは、一般から惜まれているが、開発によって村の発展が期せられるにおいては、止むを得ないことである。
村の発展を考えたら開発以外の選択肢がなかったと想像できますね
県立自然公園を解除するくらいだから。。。
山の事、自然の事を考えれば開発は ×
村の経済、発展を考えれば開発は ◎
これは悲しい話。。。
ドライブで行ってみてこようかなぁ。。。
記事の意図
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必要であれば記事削除致します
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