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野見湾上空の法印山と八坂峰

 平成十九年四月二十日、晴時々曇り。

 友人と二人で高知県須崎市の天然の良港といわれる野見湾上空で睥睨する法印山(ほういんやま、二七九・四㍍)と八坂峰(やさかみね、二四四・二㍍)を目指す。この二山は東西に連担し、このほぼ中間まで車が通じていてワンセットの登山ができる。駐車地付近から俯瞰される野見湾方面の景観は素晴らしいが、山頂からは樹木が邪魔をして余りよく見えないのである。


詳 細 登 山 地 図

中 央 上 の 黒 点 か ら 作 業 道 に 入 る



法 印 山

 この日、八時二十四分に高知市出発。同四十二分、高速道に入り、九時七分、須崎東出口に着く。ここから南下して大阪セメント工場前を通過して、同十三分に右折して押岡川を渡り、同十五分に法印トンネル手前で右折して作業道(標高一八㍍)に乗り入れる。幅員三㍍位の舗装道を進んでいたが、昼飯を買い忘れた事に気付き引き返した。九時三十一分に再び作業道に入ったので十六分の遅れになった。九時四十八分にNTT押岡中継所、同四十九分にNHK中継所に来て、ここの広場(二六四㍍)で駐車。高知市から四九・六㌔、一時間九分、作業道に入ってから十七分を要した。少し南へ上がった所から野見湾や大谷地区が俯瞰されるが、この美しさは格別である。





N H K 中 継 所


登 山 口



 まず法印山を目指す。十時丁度、ここを出発。少し下ったNTT押岡中継所手前の右側にある登山口に入り、同中継所を左に見ながら登りに入る。山頂まで九つのコブがあって、その間尾根筋をアップダウンを繰り返しながら進む。北は植林、南は自然林である。





 同三十一分、三叉路に来る。真っ直ぐは尾根筋、右は谷筋のトラバースのように見えるから、常識的には真っ直ぐを選択するだろうが、これが誤った。帰路に気付いたが、ここに道を塞ぐように直径二〇㌢位の倒木があってこれに→→の彫り込みがあったのである。間違い易い所である。進む程に南が植林、北が自然林になり、さらには下り道になって来たので、ここで道の誤まりに気が付いた。同五十分に支尾根を北側のそれに乗り換えて西に向って直登すると三分後の十一時十分、偶然にも再び三叉路の所へ飛び出た。この迷走によるロスは四十五分である。右に進路を修正して行くと直ぐに尾根道に入った。十一時三十八分に孟宗竹の密集地を通過して行く。同四十二分、北方に虚空蔵山、黒森山、須崎市がちらちら見え、同五十三分、振り向けば野見湾やNTT中継所のアンテナが見える。






十一時同五十六分、二等三角点(点名・船浦、明治三十年選点)のある山頂に着く。迷走時間を差し引くと一時間十一分を要したことになる。頂上は東西一〇㍍、南北三㍍位の広さで、日当りのよい自然林だが、雑草が茂りやや荒れているところを見ると、人の往来は余りなさそうである。鎌を持参しなかったことが悔やまれる。南に野見湾がチラチラ見える。東にさらに尾根道が続いているようだ。




 戦時中はここに砲台が据え付けられていたというが、ここから照準を合わせれば野見湾に侵入して来る敵を撃破するのには最適地といえよう。砲台跡を探したが見付からなかった。今は付近の藪の中でひっそりとその痕跡をとどめていることだろうと思った。十二時三十七分、下山を開始して一時二十四分に駐車地着。四十七分を要した。


 ここから今度は西隣りの八坂峰に向う。駐車地の反対側(南)の小高いコブの上にもう一つNTT中継所があり、野見湾の眺望が箱庭のように美しい。ここに登山口(二六四㍍)がある。



八 坂 峰

詳 細 登 山 地 図


中 央 上 の 黒 点 か ら 作 業 道 に 入 る



 十三時四十一分、西の明瞭な道筋に入り、いきなり急降下する。同五十一分に四辻に来る。南北の道は南の大谷地区から北の串の浦地区を結ぶ峠道で、昔は牛を牽いて須崎に売りに行ったという。今でもここを通る人があるようだ。




 我々はさらに西に進むが、急に道が荒れて来て道幅も狭くなる。尾根筋の南を通っているが、同五十三分、尾根に乗り移る。やがて生い茂った山頂らしい所へ来た。雑草を掻き分けて捜していると、向う脛を厭というほど打ちつけたのが四等三角点(点名・道ノ上、昭和三十七年選点)の石柱だった。十四時二分の到着で、二十一分を要したが、うっかりすると通り過ぎてしまう懼れがあった。持参の鎌で二㍍四方の清掃整理をしたが、これほど放置された三角点は過分にして見たことがない。ここ数年人が入った形跡がないように思われた。展望は全く利かない。




登 山 道 途 中 か ら 野 見 湾


薮 化 し た 三 角 点 付 近 。 鎌 を 使 う




十四時三十五分、下山開始。十五時丁度、駐車地に着いた。二十五分を要した。中継所に二人の女性が来ていた。野見湾でアサリの潮干狩りをした帰りに立ち寄ったもので、お目当ては勿論、野見湾の眺望で、子供の頃にここへ来たことがあると言っていた。

これから横波三里の帷子崎(七七・一㍍)に行くため、十五時十分に出発。

(平成十九年六月記)