平成十八年五月四日。晴れのち曇り、時々晴。
友人と二人で、往年の要路の峠、「樫ケ峠」(かしがとう・標高七〇〇㍍)、御まけとして、この尾根筋の東西に鎮座する「去山」(さりやま・点名同じ、標高七三九・八〇㍍)と「大久保山」(おおくぼやま・点名・大久保、標高八二一・七七㍍)を目指す。
中 央 黒 点 が 樫 ケ 峠
左 の 赤 ピ ン が 大 久 保 山 右 が 去 山 赤 点 が 登 山 口
峠 の 南 東1・1 ㌔ の 高 度 6 5 0 ㍍ 地 点 か ら 撮 影 ( カ シ バ ー ド 3 D )
詳 細 登 山 地 図 |
高知市を八時五十五分出発。伊野町から国道一九四号線を進み、勝賀瀬から県道二九二号線に入って勝賀瀬川に沿って北上する。中追渓谷に入ると次第に道幅が狭くなり、分岐も多くなるので慎重に見極めながら走る。小塩集落から去山集落に向うが、ここからは直角にドッグレグしたカーブに出くわし、三か所で二度もハンドルの切り返しをしたほどのジグザグ道だ。やがて去山集落に着く。ここから町道橋床中屋線に入り、人家の裏を左に巻きながら進み、分岐で左側の道を採って行き抜けると行き止りに突き当る。
ここで駐車、十時三十五分、高知市から一時間四十分を要した。
ここから五〇㍍ほど戻った左側に峠道への入口(標高五七〇㍍)がある。
十時四十分出発。峠道は幅員二・五㍍、比較的よく整備されている。地元の人達が手入れをされているのであろうか。
この峠は昭和二十年代頃までは、吾北村思地から伊野、高知城下への往還の要路であったが、国道一九四号線が開通してから次第に寂れてゆき、今日ではとうに峠の使命は終っている。
途中、あちこちでミツバツツジが咲き誇っている。道はゆったりとして歩き易い。しばらくして谷を右に見ながら植林の中のトラバースを進んでいると、出し抜けにかなり大きな弘法大師像に出合った。
そのすぐ右側に岩の裂け目から清水が迸っており、柄杓も二つ用意されている。絶妙のタイミングである。これでは誰でもここの清水を戴く。大師様からの贈物だからよけいに有難い気持ちになる。昔の人達もここで、喉を潤し一休みしたことであろうと、暫し物思いに耽る。ふと見ると、直ぐ横に「伊野町有林」と書いた杭があった。ここら辺り一体の植林は町が管理していたのである。
十一時二十五分、歩き始めて四十五分で三叉路に出会う。真っ直ぐに行けば峠だが、われわれは、先ず、去山を目指して右の道を進む。しばらく行くと、一本の大きな杉が立っており、そのすぐ前にはこれも大きい杉が倒れている。杉の根元には風雪に耐えてきた小さく可愛らしい三體の地蔵様が寄り添うように鎮座している。一體には頭がない。自然と手を合せていた。少し離れると倒れた杉が邪魔をして見ることができない。気がつかない人もいるのではないかと思う。
十一時四十分、伊野町と吾北村との境界の尾根に出、これを北東に進む。道らしい道ではないが、なんとなく踏み跡がある。この尾根道の吾北側は目も眩むような絶壁になっており少し怖い。
三角点の標石が埋め込まれている。選点は平成十二年で新しいものである。この金属板には「この座標は測量の基準です。三角点を大切にしましょう。四等三角点 基+本 建設省国土地理院」と彫りこまれている。ここから吾北方面の眺望が開けている。
去 山 か ら 吾 北 村 方 面 を 望 む 。 中 央 左 が 「 小 式 ケ 台 」
( 九 四 八 ㍍ )、中 央 右 が 「 宮 之 西 山 」 ( 八 六 三 ㍍ ) 。
右 方 下 は 思 地 方 面
ここからさらに東に道が続いているようだから少し歩いてみたが、どこまでも道があるように見えた。
十二時五十五分出発。まず峠を目指す。一度通った分岐を右に進むと、十三時十分、いよいよ歴史を包み込んだ樫ケ峠である。
なんという荒れた峠であろうか!ここは杉の植林地帯にあり、枯れ枝が堆く積もっている。吾北側の道へ降りてみたが、急傾斜の上に荒れており、とても人間が歩けるような状況にない。昭和三十年頃までは人の往来はあったというが………。早々に引き上げたが、今昔の感に暫し佇む。使命を終えた寂しげな峠の末路である。
十三時十五分、峠から左側の町界の尾根道を南西に大久保山へと進む。このコースは、面白いことに、伊野町側は植林、吾北村側は雑木林とはっきり区分されており、道はないが林相で区分された境を辿れば間違いなく大久保山へ行けるのである。
しかも、この境界の稜線には一定の間隔を置いて「筆界基準・吾北村」の赤と黒に塗られた杭が打込まれているので、なおさら迷いようがないのである。最初の直登をすると大岩があり、第二の直登をすればまた大岩がある。第三の直登をすると、三等三角点の山頂である。十三時五十五分、峠から四十分を要した。周囲の樹は切り払われているが、展望は全く利かない。
十四時十五分、下山にかかる。十四時三十五分に峠を通過し、十四時五十分には大師像の水場で一服、再び清水を鱈腹がぶ飲みする。十五時ここを出発して、十五時二十五分に駐車地点に着く。
ところで、今回の登山は一体なんであったか、自問自答してみた。
登山に理屈をつける必要はないが、やはり往還の峠道、使命を終えた忘却の峠を見届けたということであろう。なにか心に残る道中であった。そういう意味では、一定年度を経たときに再度ここを訪れなければならないということだろうと思った。
(平成十八年五月記)