Mutter
編集

野路平・高峰ケ峰ともいう黒奴山

 平成十九年二月五日。曇り時々晴。

 友人と二人で、高知市北方、円行寺の奥で土佐山村との境にある「構石山」に登った後、伊野町境の二等三角点の「黒奴山」(こくどやま、五七九・八㍍)、別名、「野路平」、「高峰ケ森」を目指す。黒奴山とは尋常でない山名だが、野路平の方が山の形をよく言い表わしていると思う。この黒奴山の名称は、行川地区校区交通安全会議が立てた道標に記載されており、地元の呼称を尊重して採用した。 


高 知 城 黒 鉄 門 か ら ( 中 央 一 番 高 い 山 )、直 線 距 離 で 十 ㌔


詳 細 登 山 地 図


中 央 上 の 赤 点 が 峠 、 黒 線 が 作 業 道 、 赤 線 は 登 山 道


駐 車 地 か ら
こ の 山 容 を 見 る 限 り 「 野 路 平 」 が 最 も 体 を 成 し て い る 。
 「黒 奴 山 」 と い う 発 想 は 山 容 か ら も 頂 上 に 登 っ て み て も
 出 て こ な い


この日はどんよりと曇り、雨は降らないものの肌寒い一日。友人と二人で、十一時三〇分、高知市円行寺奥の峠から鏡村川口を南下し、十二時二十五分、高知市行川、領家に向う大河内橋を渡る。直ぐ三叉路だが、ここで右折することが肝要。

そうすれば、右に行川の小中学校を見ながら、十二時三十分に城ケ森登山口を通過、同三十二分に領家集落で三叉路があって、右に上領家方向へ進み、行川橋を渡り、十二時四十分には目指す峠に着いていた筈である。

しかし、私共はうっかり左折したため、行川と城ケ森の中間の狭い車道を走る破目になり、遂には伊野町との境の峠まで来て、やっと迷走に気付いた。取って返し、十三時に大きく膨らんだ三叉路に来て、ここで右折して二・三㌔進むと、同四分、目指す鏡村との境の峠(三五五㍍)に着いた。前に「城ケ森」に登った時、ちゃんと本道を通っているのに情けない話だ。

この峠は前方で三又になっている。右は鏡村、中央は小山集落(一・三㌔)に通じており、左の幅員四㍍位の簡易舗装の作業道が黒奴山への車道である。

十三時十六分、峠を出発。同二十六分、二㌔を過ぎた所で舗装がなくなった。途端にガタガタの悪路になってなんとか一〇〇㍍進んだが、これ以上の強行は無理と判断して、二・一㌔の地点から徒歩にする。



準備を整え、同三十四分、出発。四〇〇㍍進んだ所が作業道の終点である。この作業道はずっと一本道で紛れようがない。右に登山口(五四〇㍍)が見える。同四十六分、直ちに登り始めたが、歩き易く周囲は自然林で気分は爽快である。



登 山 口


十三時五十二分、山頂着。登山口からわずか六分、駐車地から十八分、峠から三十六分を要したことになる。山頂は三㍍四方の広場となっており、北西に進むと仏峠(成山峠)に一時間の行程である。展望は全く利かない。何故、黒奴山と命名したのか判らない。五五七のピークまで歩いて見たが特筆すべきものはない。



十五時一分、山頂から下山。同七分、登山口着。ここから駐車地へ行き、車で行川の大河内橋まで七・一㌔、高知市の自宅まで一八・四㌔の行程である。

(平成十九年二月記)