平成十九年三月十日、晴時々曇り、午後小雨あり。
友人と二人で、高知県須崎市浦ノ内今川内の「橘森」(たちばもり、二三三・七㍍)に登る。登山道は大荒れで、道筋が定かでない上にウラジロの藪漕ぎもあって、低山だがかなり難儀を強いられる山だったのである。
詳 細 登 山 地 図 |
この日、八時三十分、高知市を出発。国道五六号線を西に進み、同四十四分、仁淀大橋(一二・三㌔)を通過したところで左折、九時七分に宇佐大橋(二三㌔)、同十分、青龍寺入口(二四・五㌔)、同十八分に明徳義塾高校に向う三叉路で右折して北上、同二十一分、同高校入口を通過(三〇・九㌔)、入戸集落の「住吉大明神権田八幡宮」付近で駐車(三二・七㌔、標高一〇㍍)。
九時三十五分、駐車地を出発し、神社を参拝し舗装された道を一五㍍位西に行った所でやや荒れた山道に入る。直ぐに道が二つに分れるが、右の涸れた谷を渡って登山道に飛び上がる。間違って左の植林の中へ入り込むと大変な事になる(後述)。
同四十六分、左に谷を見ながら進む。谷の左側は植林、登山道は自然林だが、各所で倒木があって荒れている。同五十九分、尾根筋左側のきつい登りなる。十時十分、道筋がはっきりしない三叉路に来る。右の道はトラバースしているようだが、これが本道だったかもしれない。どちらにするか躊躇いながら、真っ直ぐの直登の道を選んだが、傾斜四十度位の谷横の尾根を木の根っ子を掴んでの必死の攀じ登りになる。土が滑り易く何度も足が流される。
同二十六分、ここをなんとか抜け出して支尾根に上がる。しかし、ここから自然林が消えて厭らしいウラジロの群落が控えていた。そこで持参の携帯用鋸で直径五㌢、長さ一㍍十㌢の棒を作り、これでウラジロを叩き潰しながら急斜面を這い登る。先だって「陣ケ森」に行った時に恐怖のウラジロ群落に遭遇したので対策を考えていたが、この太さと重みの棒が意外に効果をあげたのである。
また度なしの眼鏡とマスクを装着する。友人は無防備だったのでしばらくはクシャミが止らなかった。ウラジロの下葉は枯れた枝葉が絡み合って、これを揺さぶると微細な粉塵が舞上がるのである。同五十分、ウラジロが消えて自然林に入ったと思うと、ようやく「本尾根」(二〇〇㍍)に飛び出た。ここに赤と黄のテープを付けた。道中のハイライトは、十時十分からの谷横の尾根の直登とウラジロの藪漕ぎの四十分間である。
「本尾根」から南東にコブを二つ越えて進むが、総じて歩き易い。十一時十分、三等三角点の山頂に着く。駐車地から一時間三十五分、「本尾根」から二十分を要した。頂上は半径四㍍位の円形のこんもりと丸い広場になっており、周囲は椎、椿等の照葉樹林で、直ぐ傍に楠木の孫生えも見える。展望は殆ど利かない。浦ノ内方面がチラチラ見える。南東に小径が伸びている。この尾根道を辿ると幾つかのコブを通過して、横浪スカイラインの「帷子崎」(かたびらさき)展望所の北側にある登山口に通じているはずである。
十一時四十一分、下山開始。登り道の要所に目印を付けて来たので道筋に気を使う必要がない。急傾斜の谷では腰を下ろして滑走する方が安全で、歩行するのは危険である。十二時五十六分、駐車地着。一時間十五分を要した。
登山口付近のビニールハウスで、喜寿になろうとする元気な男性に出会った。ゴカイと雉の養殖をしているという。要約すると以下の通り。
「この山に登る人は絶えてないように思う。猪を追う猟師が入るくらいのもので、猪と間違えられなくてよかった。三年位前に市役所の人が国土調査のため登った。昔、ウラジロで籠を作っている人がいたが、眼を刺された。ここの群落は凄い。それにここら辺りの土は紫がかった荒い赤土で、傾斜地では流れ易く歩き難い。どうしてこのような山に登るのか?」と訝った。
少し時間があったので、さらに登山ルートの探索をしてみた。
先ず、神社左の「記念」と刻字された石碑の横からの登山道があるので行ってみる。急傾斜の道を登ると祠があり、道はこの上で消えている。
詳 細 登 山 地 図 |
次いで、前述した植林を辿るルートである。しばらくは谷を右に見ながら進むが、次第に急勾配になり、ここもやはり四〇度位の自然林の疎林を根っ子に掴まっての登りになる。やがて二㍍に達するウラジロの藪漕ぎに入る。叩き潰す棒を使用しなかったので、体で覆い被さるようにして道を作りながらのきつい登りである。ようやく山頂の南西の尾根に登りついた。ウラジロが少なくなっている。ここまで一時間十五分を要した。北西の上空に山頂が見えるので、再びウラジロ群落の藪漕ぎを開始したが、十六分後に登頂を断念し、下山することとした。先に登ったルートよりさらに厳しいことがわかった。
これから下山して、「雉刀森」に向う。
(平成十九年三月記)