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四国の山なみ~山岳紀行/南嶺漫歩

2023/12/15

 古典山岳文献、写真も保存した

一番の目的は達成

関連する記事も出来るだけ一緒にまとめたし


しかし、GeoLog Project が年内(2022年)でサービスを終了するとの事。。。


山行等はそもそも保存するつもりがありませんでしたが

年内に全て目を通して、一文、一言でも気になる事があれば保存していきます


今回は南嶺です

 ※四国の山なみシリーズは一部ダークモードに対応していない箇所があります。ライトモードでご覧ください。文字の色、背景色等を変更して元の雰囲気を壊したくないので。 

南嶺漫歩

以下は、同行できなかった同窓生に送信したメールの写しである。


            ◇        ◇ 


平成十四年年二月二日、快晴、風なく絶好の登山日和。

三人で筆山(一一七・九㍍)、皿ヶ峰(俗称・潮江山、一六三㍍)、鷲尾山(三〇八㍍)を歩いた。


  詳 細 登 山 地 図 

赤線は登山ルート、青線は縦走ルート


高知城天守閣から南嶺を望む。

左から皿ケ峰、中央が鷲尾山、右が烏帽子山


当初の計画では、筆山、皿ヶ峰付近を散策するつもりだった。

ところが、対面から盛んに軽装の登山者が来るので、声を掛けると、土佐塾高校からとか鷲尾山から来たという。

さらに聞いてみると「皿ヶ峰から土佐塾高校まで三十分、そこから鷲尾山まで三十分」の行程らしい。

そこで急に気が変わって縦走することにしたが、いい加減なところは昔と同じだな。

鷲尾山に着いたのは十二時半。

昨年の南から登ったコースはきつかったが、こちらからは、大分楽な感じだ。

頂上には、子犬を連れた母娘が手ぶらで来、また二日に一度は来ているという同好会のような中老の一行やら、どうも、このあたりを散歩するような感覚で登って来ているらしい。


この一行で、この山の主のような五十がらみの男性が言うには、これから烏帽子山(三五八・七㍍、一等三角点)、柏尾山(三二三㍍)へ行くのは、さらに往復二時間を要し、筆山まで帰るのは時間的にも、肉体的にも大変だという。

また宇津野山(二五六・三㍍)から柏尾山の縦走は、魅力的だが、かなりの路程があり、嘗めてはいかんと言っていた。

小生が、北面の木を切ったら、高知市が展望でき、見晴らしがよくなるのではないかと質問したところ、

「五・六年前にそのような話が出て検討した。経費は出せるが、地主がわからないし、冬は風が吹き抜けて、ここに居れたものではないとか、いろいろ意見がでて沙汰止みとなった」

といっていた。 

一体、彼等は何者かと思い、「あなた達は、鷲尾山同好会のようなものを結成しているのか」と聞いてみたが、そうでもないらしい。

しかし、こういう勢力はどこにもいるものだな。


鷲尾山から烏帽子山、柏尾山を望む。テレビ・アンテナ二本


総括するに、ここらあたりは近くの人達のハイキングコースで、昼飯は持たず、朝早くから、筆山頂上近くの駐車場から皿ヶ峰経由で鷲尾山を駆けずり回ってみたり、ほかのコースも楽しんでいる人が多いらしい。

彼等はかなりの年だが、場馴れているせいか、マシラのように足が速く見える。

皿ヶ峰周辺は、昔からの墓が多いが、高知市斎場の上部付近は山火事で墓石もなにもかも真っ黒になっていた。

昔から、ここは墓参りの残り火?で、毎年のように山火事が起こっているな。

皿ヶ峰頂上からの見晴らしがよく、正面には、北山、工石山、雪光山。

眼下には、高知市の大パノラマ。

上空には、雪に輝く、中津明神、手箱山、梶ケ森が見え、振り返って南を見れば、浦戸湾方面が一望に開ける。

いつまでも見飽きない。

鷲尾山頂上からの眺めもすばらしい。

南に遥か太平洋は水平線となり、快晴のときは室戸岬、足摺岬を眺めることができる。

土佐の国古事雑記三巻には鷲尾山は、本山梅慶の物見の城なりとある。

太平洋戦中は敵機襲来に備えてここに観測所が建っていたという。

すぐ南方の眼下は浦戸湾で玉島、続島、衣が島等池に浮く箱庭の感がする。

北方は雑木が高く視界を遮り、見えるべき高知市街の展望はきかない。

昔は高知城を中心に東西に延びた美しい眺めだったらしい。 


また「高知県誌」(昭和三年)には、

『神田吉野谷の上に聳え、海抜一千余尺、頂上には一つの雑木さえなく眺望豁然として、南に浩蕩たる太平洋と浦戸湾一帯の明媚なる風光を下瞰し、北に高知市街の殷盛を望み、市付近第一の名山である。』とあり、

やはり当時は頂上付近に立ち木は全くなかったことが証明される。昔は高知城を中心に東西に延びた美しい眺めだったらしい。


南方面の住宅団地群


歴史上の人物の墓所も多い。

山内家歴代藩主の墓所があり、山内一豊公の墓石は、無慮四百年を経過し、墓銘は苔むしかすれ果てて、歴史の深さと悠久の静謐さを感じさせる。

また、野中兼山、婉女、後藤家歴代の墓、吉田東洋、武藤阿龍、吉田数馬、江田文四郎、武市甚七、織田信康、中山厳水、武藤致知等有名、無名の墓数万がある。

この周辺は、われわれ老骨には手頃で楽しいコースかもしれない。

三人は大満足で三時に下山。

コーヒーを飲みながら、遠く望んだ中津明神の神々しい山容を褒め讃え、春にはこれに仰ぎ登ることを約し解散した。



万葉調の歌人大倉高権は、この鷲尾山を愛しその雅号も鷲夫とよんだ。

この大倉鷲夫に鷲尾山の歌がある。


鷲尾に登りて詠める長歌一首

千早振る  神のみおもと  つぎてくる  土佐の国は天離る  ひなにはあれど神さびて  いかしき国と世の人の  語りつぎきて  国見する  鷲の高根にのぼりたち  うそむきみれば世の人の  語るが如く  浪の穂に  み崎差しいで  ふたなみの  伊豫もいさかり  阿波土佐の  境もみえず  青海原  豊栄のぼる朝日の  影にみやれば  紀の国は百重にかくり  わたる日の  まほらにみれば  唐国は  青雲なびく  あかねさす  日の入る方 ははやひとの  薩摩大隅大海の  鳴る浪の音は  いかづちの  声とも聞え  しなと風  いぶきいませば  あだなふや  唐国船は  かしこしと  漕ぎも来よらず  高麗船は  いよよまつろふ  日の本の  押への国ぞ  すめろぎの  み楯の神ぞ  千早振る  建依別の国つみ神は


反歌

すめろぎは神にしませば千よろづの神をみさきの押へとなしつ あめつちのよりて固めし国なれば日月とともにたりかもゆかむ 


【 略歴 】

傑出した尊王愛国の歌人。

鷺夫は鷲尾山よりとった雅名。

安永九年(一七八〇)高知城下通町生れ。

家は代々商業を営む。

四十三歳の時、国暇を乞うて浪華に浪々の身となり、阿弥陀池の畔に仮寓して、

嘉永三年(一八五〇)、七十一歳没。




鷲尾山の怪火

慶応元年(一八六五)

鷲尾山の南西法経堂の洞穴から夜な夜な怪火が出て城下の方へ飛んでゆく噂がパッと拡がった。

諸木の商人が夜に入って城下から帰る途中その怪火に会い死んでしまった。

この事を聞いた諸木乗林寺の高僧は深更を期して登山し怪火の出るのを待ち受けた。

丑満頃白衣の美人が現われ悄然と和尚の前に立った。

和尚は「心残りがあれば言うて見よ」と尋ねた。



女は本町の良家の娘でお鷹といい帯屋町のさる大家の次男坊源次郎と深い仲となりその年の九月上旬二人は鷲尾山へ登って甘い恋に陶酔したが、つるべ落しの秋の日が西山に沈んだ頃お鷹は悲鳴をあげて倒れたのを源次郎が介抱したが既に絶命していた。

その夜から鷲尾山へ火が出るようになった。

それだけなら何んでもないが、更らに幽霊は、 

「その時、私のさしていた大事の簪を抜きとり、これを別の女に与えたので恨んで居る」

と答えた。 

和尚は、その翌日源次郎に会い簪をとり返し、法華経一巻と共に埋めて供養したので怪火は出なくなった。 

(土佐奇談実話集より・昭和三十二年)




感想

ボランティアの世話人

この山の主のような五十がらみの男性が言うには


南嶺に関してはまとめる、保存する事もない

と思ってたんですが、この一文で保存決定

この方、恐らくYAMAPにも活動日記をアップしていた遊Gさんではないかと、、、

遊Gのページ | YAMAP / ヤマップ

遊Gのページ | YAMAP / ヤマップ

遊G | No.1登山アプリYAMAP。オフラインの山中でも現在地を確認できる。最新のルート状況をはじめ、全国各地の登山情報を網羅。YAMAPであなたの登山はもっと楽しく、安全に。

2020年11月を最後にアップはされていませんが、、、

南嶺に行った時に真新しい整備した跡、資材を置いているのを見たので今も整備してくれている筈です


もし文中に出てきた方が遊Gさんではなかったとしても

現在、整備してくれているのは遊Gさんです

前は行く度に会ってたんですが、ここ数年は全然会ってません。。。

南嶺に行く事も減ったしなぁ。。。


この方が整備しなくなると南嶺はどうなるんだ?

登山道はボロボロ、廃道になる箇所も多数出てくるだろう

今みたいに老若男女が気軽に遊べる里山ではなくなるかも。。。

って思う程に整備してくれています

今の南嶺があるのは、間違いなくこの方のお陰です



南嶺の遺跡

太平洋戦中は敵機襲来に備えてここに観測所が建っていたという。


現在もあります


遊Gさんが案内板も設置してくれました


詳しくはコチラを見てください m(__)m

南嶺にある遺跡 | Trekking from Kochi

南嶺にある遺跡 | Trekking from Kochi

南嶺にある遺産がなにか解った



鷲尾山の怪火

「その時、私のさしていた大事の簪を抜きとり、これを別の女に与えたので恨んで居る」


源次郎は糞野郎だな


記事の意図

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