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自念子林道探索行

 四国の最奥地の秘境といわれる高知県本川村寺川。秘境といわれるだけに、ここにはいろいろな興味ある昔噺が残っている。例えば、このHPでも、「手箱山氷室の事(寺川卿談)」「吉野川最奥地の土俗」「土佐最奥地の山中家住宅」を掲載してあるが、いずれも土佐の山間風俗の貴重な記録である。

この寺川からさらに奥地、石鎚連峰直下の鎌薮谷を大きく迂回しながら四国営林管理局の「自念子林道(じねんごりんどう)」が敷設されている。延長は一二・六一六㍍、幅員は三・六㍍~四㍍。一帯は広大な国有林である。




探索して判ったことだが、林道があるといっても、人家がないので人気は絶えて無く、通常の林道では感じられないような異様な雰囲気――――ここはまだ浅春故か全体が淀むような灰色に包まれ、山界に佇む凄い程の寂寞と静寂と孤独を嫌という程感ずる想像を絶する陸地の孤島だった。この林道は国有林の深く淋しく壮絶な山あいを東方に蛇行しながら、どこまでも続き、遂には長沢ダムの下流、長沢集落に下降して行くのである。




 隔絶した絶界であることは想像はしていたが、私共がこんな処へ入ろうとしたのは、外でもない。この付近には私共の気を引く三角点が十数座あり、中でも、岩茸山(一二五五㍍、点名)、自然子(一三一九㍍、点名)、上瀬戸山(一五三八㍍、点名・鎌薮)、鎌谷山(一四三五㍍、点名・鎌谷)、長沢山(一四二九㍍、点名・扇谷)等が魅力的に見え、今回わざわざこれらへの登山ルートの探索を試みたのである。ほかにも寺川向(一一一二㍍) 宮ノ向(一〇八二㍍) 手箱谷(九〇一㍍) 越裏門(一三五九㍍)等がある。いずれも点名である。これらのどの山にも登山道というものはない。

 この探索行では、やはり名にし負う奥地に相応しくいろんな椿事に遭遇した。以下はその写真紀行文である。


詳 細 登 山 地 図


よ さ こ い 峠 の 本 川 村 地 図  中 央 左 に 自 念 子 林 道


全 体 図   中 央 赤 線 が 自 念 子 林 道 ( 中 断 )  赤 ピ ン は 周 辺 の 三 角 点 


詳 細 図     赤 ピ ン は 三 角 点  青 線 は 推 定 登 山 ル ー ト  × 印 は 落 石 地


 平成十九年三月二十九日、曇り時々晴れ。

 八時三十六分、友人と二人で高知市を出発。国道三三号線から一九四号線に乗り換え、九時五十七分に本川村長沢入口(五五・八㌔)、十時二十八分に越裏門の三叉路(六四㌔)、同四十五分に越裏門郵便局(六九㌔)、同四十六分に県道石鎚公園線、ここは三叉路になっており、予佐越(よさこい)峠まで一五㌔と書いた道標がある。同五十五分、寺川分岐(七二・六㌔)、標高は八八五㍍である。





農 林 道 が 交 錯 し て 複 雑


岩 茸 山  八 月 二 十 八 日 撮 影



 
ここを右折して林道寺川線から林道鎌薮線に入るが七三・五㌔地点で舗装がなくなる。

谷をふた曲がりした所にある和戸内橋の手前に木の梯子が掛けられた所があった(標高・八四〇㍍)。これが自然子(一三一九㍍)の登山口と思われた。点の記には「この小道を一㌔登ると稜線に達し、これを更に北方約五〇〇㍍で本点に達す」とある。




赤 ピ ン は 三 角 点 、 青 線 は 推 定 登 山 ル ー ト


ところが驚いたことに、この林道には多くの蝦蟇が居て産卵をしているではないか!「産卵する蝦蟇蛙」を参照されたい。なお、これはかなり気持ちが悪いので苦手の方は遠慮されたほうがよい。

いよいよ自念子林道の起点に来た。七五・二㌔、二時間四十六分を要した。ここからの時間経過は余り意味がないので、距離で表示することにする。





ここから林道を北東に進むが、鎌薮谷を隔てた東方に上瀬戸山、鎌谷山、長沢山や林道が望見される。



上 瀬 戸 山


鎌 谷 山 の 稜 線 ( 左 ) と 長 沢 山



北に二・五㌔進むと、大きく彎曲して南に転回する鎌薮谷の本流地点へ来た。ここに目を瞠るような鎌薮谷堰堤がある。なぜこんなところにこのような!?




ここを少し南下すると東黒森へ向う登山口がある。ここの標高は一〇八〇㍍で、「歩道入口」の道標がある。ここからいきなり直登するように村道瓶ヶ森線へ駆け上がる険しい歩道である。村道との標高差は四六四㍍。





 ここを少し過ぎる処から北方上に村道瓶ヶ森線と自念子ノ頭や東黒森が見える。あそこまで登るのは大変だなと思う。



自 念 子 ノ 頭


東 黒 森



四・三㌔地点に自念子墜道がある。





この付近から西方に自然子、子持権現山、瓶ケ森、手箱山、筒上山、石鎚山等が見える。何れも普段見慣れていない珍しい山容である。



自 然 子 ( 手 前 ) 、 子 持 権 現 山 、 瓶 ケ 森


手 箱 山 と 筒 上 山

の し か か る よ う な 石 鎚 山


四・七㌔地点には驚いたことには、ワサビ谷があって「立入り禁止」の看板がある。少し立入ってみたが、規模は小さいが立派なワサビ田である。こんなところまで来てわざわざ栽培するとは、途方もないことだと感心した。



五・三㌔地点に上瀬戸山(一五三八㍍)への登山口があるように思った。この付近は標高が一二三〇㍍位である。点の記には「東黒森へ向う登山口の東方にある小道を約一・五㌔登ると本点に達す」とあるが、これは気が遠くなるほど遠い。林道の延長がなかった昭和四十五年造標時の記述によるものだからだろう。



 赤 ピ ン は 三 角 点 、 青 線 は 推 定 登 山 ル ー ト
× 印 は 落 石 地



 六・四㌔地点には「から滝墜道」があって道はここから東方に舵を取る。
 八・四地点の尾根(標高・一三一〇㍍)を北東に登れば北方の上瀬戸山に続く稜線におどり上がり、これを東に進めば鎌谷山(一四三五㍍)の頂上に達するものと考えられた。点の記では「上瀬戸山から南東に稜線を七〇〇㍍で本点に達す」と、両山の登山はセットになった表現になっているが、これも三角点の造標が昭和四十五年でまだ林道が開設されてなかったからであろうと思われた。

九・〇㌔地点はここで俄かに開けた感じになって集材地があった。誰もいなかったが、この日は木曜日だった。

九・八㌔地点は峠のように見える。標高は一二二七㍍。ここから下がりながら進むと、なんと、道の真ん中に長方形の大石が横たわっていた。




こ れ は ち ょ っ と 動 か な い 。
加 工 石 で は な い か ?



 これで長沢山(一四二九㍍)へのルートの探索が頓挫した。しかし図面上でこの山への登山ルートを推定してみた。北のルートは谷を登って稜線に出、ここから稜線を南下する。南のルートはいきなり尾根筋の直登である。




赤 ピ ン は 三 角 点 、 赤 線 青 線 は 推 定 登 山 ル ー ト
北 の 登 山 口 の 標 高 は 一 一 八 〇 ㍍、 南 の 標 高 は 一 一 五 五 ㍍

× 印 は 落 石 地



この林道をどんどん進んで長沢まで下るつもりだったのに残念な結果になった。自念子林道の延長は一二・六一六㍍であるからまだ二・七㌔残っている。それから先もやはり荒れた林道が長沢まで続くのであろう。帰宅してから嶺北営林管理署に落石の一報を入れたが、ご存知ではなかった。