こういう話は信じる信じないがある。。。
自分は霊的な事や神秘的な事は体験した事がないので信じない、、、
って事はなく、こういう事はあるんだろうと思うけど体験した事がない
だから説明も出来ないし、話もできない
知らずに霊的、神秘的な事を体験していても、それを偶然、たまたまと思っているだけかもしれない
※四国の山なみシリーズは一部ダークモードに対応していない箇所があります。ライトモードでご覧ください。文字の色、背景色等を変更して元の雰囲気を壊したくないので。山民と神秘の話
人が山に誘われて行方不明になるということは、山村民の生活の中では決して稀有のことではなく、この種の神秘については山民特有の古い感情の一面を示して、信仰的感得で互いに畏怖を承認しあっているかのように観察出来るものがある。
そこで村からそうした者の出た時には、必ず隊を組んで昼松明を焚いたり鉦太鼓を叩いたりして「誘うもの」を逐い、誘われた者を呼び戻す心持で「戻れヤァ」 「○○よゥ」などと連呼しながら山々谷々を探して回るのである。
面白いことには、高岡郡高岡町では山かくしになった人を探すのに、それがどんな人でも「熊吉-イ、戻れよゥかえれよゥ、チンドンブー」と呼んで歩くということである。
幡多郡富山村常六(現在中村市内)で聞いた話は、山に誘われた異常な男の一例である。
同村三ッ又部落の某、ある日突如家を飛出したと思うと、驚く人達を尻目にかけて、人間とも思われぬ速さで山に駆け入り、その侭姿を消してしまった。
後日村人達に発見された時、山の狭い路上に坐って 「何物かが来い来いというのでついて行った、柴をやるというてくれた」 と手に一ぱい柴を持っていたということである。
土佐郡土佐山村弘瀬は、かつて著者が数年間居住した部落であるが、ここでも当時三十五歳になる妻子のある男が突如行方不明になり、翌日発見した時は付近の山の岩かげに蹲っていた。
この男はその後少しく精神に異常を来したが、山に誘われる直前天狗が呼びに来ると口走っていたと言い、部落では天狗に憑かれたと信じていたのを身近く見聞した経験がある。
同じ村の土佐山部落の山本某(現存すれば七十余歳)は、山に隠れて消息を絶って以来すでに三十年近くになっているが、この男の生活は時折村の古老たちの酒の座の噂話になったりする。
著者が昭和十三年の春、この村の西川部落にある人跡稀な三石山へ村人たちに同行して上った時、一同計らずも頂上近い檜の密林中に茅葺の小屋を発見したが、内部の半畳敷ばかりの床板は黒光りに光っていて、吾々の登山直前に姿を隠した人の気配があり、蝋燭の流れた跡や古雑誌の類を見かけたことであった。
数丁下にある泉には人の通行した形跡があり、泉の傍の木の枝には物相の蓋の掛かっているのを見た。
一同行方不明を伝えられている山本某に相違ないと推定したことであったが、ここからは土佐の中部平野地帯と太平洋を一望の中に収めることが出来、脚下には山嶽重畳して紫の背を見せているという仙境であった。
山に誘われるのは大人ばかりではない。
幼童の生活の中にもこの事があるために、一層山村民の神秘を呼ぶのである。
今から四十余年前土佐郡森村笹ガ谷居住の中山某方の子守娘が主家の息子(当時三才)を背負うて、近くの山で遊ぶうちグイミを探るために子供を下して叢林中に入った寸刻忽然と子供が行方不明になり、路傍には脱ぎ棄てられた着物があるばかりであった。
部落は三日の間昼夜鉦太鼓を叩き山々や谷々を呼んで探したが徒労であった。
三日後峰伝いに一里余を離れた隣村土佐山村西川の三丁峰で、同村菖蒲部落の川村音太郎(当時七十二歳)が山帰りの途次、路辺の山の神の叢祠附近から突然裸形の子供のよちよちと歩み寄って来るのに出合い、場所柄思いもよらぬことに驚いたが、人間の子であることを確めて連れて帰ったのが山隠しになっていた子供であったという。
その時子供の口から、ミミズ、シキビの葉などを多量に吐いたと言われているが、当人は現在四十有余歳になって土佐山村にいる筈である。
話はこれだけでない。
これは著者も当時の新聞で注目した事実談で、最早十数年前の話になってしまったが、土佐郡大川村の当時の国民学校の児童が、教員に引卒されて隣村本川村の平家平(一六九三㍍)に上ったことがあった。
その時、六年生の女児の山中徳美というのが残雪を取りに行くと告げて仲間から外れたまま教員の点呼に洩れ、一同帰村後にこれが判って大騒ぎとなり、全村を挙げて「徳美を戻せ返せ」と呼ばわりながら捜索しつづけたが発見されず、
隣県別子銅山村及び隣村本山村も協力して麓から頂上まで捜査に努めて知れず、
数日たって不思議にも生存したままで発見されたことがあった。
しかも発見された時追手を見て逃げる風をしたと言い、残雪の中でありながらソウタ(袖無)を脱いで寒気も空腹も感じなかったと言ったということである。
平家平には、昔から平家の落人の怨霊がさ迷っているという伝承があり、正月と盆の十六日は登山を禁忌していて、この日には赤旗が立つとも言われている。
この山隠しにあった女の子も、ここに祀ってある叢祠の幣をもてあそんだ崇りであるなどと言われていたということであった。
このように山村民はつねに山に対する伝来の畏怖と神秘を真剣な体験にして持ちつづけているので、いま俄かにこれを迷信として笑い棄てることが出来ないのだ。
今から二百年前の宝暦二年に宝永堂という人が、現地で採集した土佐郡本川村寺川における山民の生活記録「寺川郷談」という筆写本の中には山焼の時の次のようなまじない謡が出ている。
山をやくぞうー 山をやくぞうー
山の神も大蛇殿も ごめになれごめになれ
はう虫はほうていけ とぶ虫はとんでいね
ひっこむ虫はひっこめ あぶらむけそうけ
寺川郷の山民は、かつて老若男女声高くこの謡を呼びあって火を入れたというのである。
これは昔の他の山村の伐畑の火入れにもあったようであるが、
謡の中の「山の神も大蛇殿もごめになれ(ごめん下さい)」というまじないの呼び声は、
山民が山に火を入れるということに深い畏れを抱いていた一つの証左とも言えるものである。
というのは、現在鉄道沿線になっている長岡郡天坪村あたりには、山の中に火を入れるのを絶対の禁忌にしている地域があって、これをシチアレと呼んでおり、その地域は蛇の棲まない所と考えられていて、幾世代もの間火を入れたことがなく、新しがりの冒険者がこのタブーを破って火を入れたりすると、きまったように不幸に見舞われ、医者にかからぬ前に死んだ例もあるということであった。
このために普通の伐替畑に火を入れて病気にでもなったりすると、「シチ(シチアレ)に食われた」と言って心配したりすることが度々あったりするということである。
こうした地域が一つの部落の山中に幾カ所もあって、それが広いのは二町歩ほどのものまであるというのである。
他の村々には一定地域の雑木を伐採するのを禁忌にしているものがあったり、また一年の中の特定の月日に入るのを忌れている地域があったりして、
長岡郡の東西の豊永村あたりではマケアレ、吾川郡池川町などではワルヂなどと言っていた。
土佐郡土佐山村の高川部落にある大内神などという二三反歩の雑林地域は、この村の最も忌まれるワルヂの一例で、村人の記憶している五六十年間に転々と持主が変って、現在では村内ではこの土地を所有するものがないということであった。
その祟りの現れ形は、五六十年前土地の大夫の惣次郎なるものが、祈って伐ればよいだろう、と言って、自分で祈っておいて斧を入れたところ、山仕事の最中にぬいだ草履が必ずなくなり、その後一家は不幸つづきで、ついにこの土地を持ちつづけることが出来なくなった例があり、二十数年前にも新しい持主が手を入れてみると、伐採作業中に石が度々ころげ落ちて来たり、搬出に使っていた馬が死んだり人夫が患ったりする不幸が連続して、ついに中止してしまったということであった。
高岡郡黒岩村(現在佐川町内)のような平坦部の村々にもこうした地域があり、四ッ白部落の滝山というところなどは通称狸山と呼ばれていて、著者の探訪当時にも何番目かの新しい持主の一家が崇られていて、重病人が出ているという話であった。
ところによってはイラズ山というのがあり、女子供の入るのをタブーにしているのがある。
昭和二十六年二月の旧正月の三日に入村した吾川郡池川町の土豫国境に近い仙境椿山でもこのような地域を採集したが、この部落のイラズの山というのは麓を流れる前鞍川に突き出た山のウネの突端を言い、ここには山の神の小祠があって、女の出入をタブーにしていた。
かつて、この地域の老木を伐って部落の橋材にした世話人が病死したのをきっかけに部落中に不幸がつづいて、今更のようにこの種の伝承を冒涜する恐ろしさを知ったという話であった。
高岡郡東津野村にある不入山(一三三六㍍)なども、元来はこうした信仰のあった聖域の一つであったと思われる。
この他、村人が山で山の神の眷族に会って病気になって寝ついたという体験談や、山の神の惜しみの木というのを伐採して大怪我をしたという炭焼などの述懐も今までに幾回となく聞いている。
以上のような山民たちの山に対する神秘感は、この民族の持つ畏怖感覚を知るためにも貴重な庶民資料の一つと言えるものであろう。
昭和二十七年九月。 (土佐の伝説より)
感想
不思議な遭難
不思議な遭難ってのはあるわけで、、、
登山に限らず、山での行方不明は現在でもニュースで流れる時がありますよね
これが霊的・神秘的な事か人為的な事なのかは誰も説明できないでしょう
信用できる人から聞いた話
しかし又聞きなので、ハッキリとは言えない。。。
って記事を過去にアップしてます
消防で話をしていた時に
『不思議で意味が解らない遭難が多い山がある。。。』
と聞いて、その3つの山には入らないようにしていると言ってました
3つとも四国で登山している人なら絶対に聞いた事のある山
行った事がある人が多いと思います、、、
自分は1つ行った事がありますが、そこは危険個所は見当たらず
初心者ハイキングにピッタリって感じの山だったりします
ここで遭難なんて考えられない。。。
万が一、脚を滑らし登山道から山肌に滑落したとしても、発見が困難な場所なんてどこにある?
捜索しても、何も発見されないとか神隠しとしか説明ができない
そんな山です。。。
昔の信じられない話
一同行方不明を伝えられている山本某に相違ないと推定したことであったが、ここからは土佐の中部平野地帯と太平洋を一望の中に収めることが出来、脚下には山嶽重畳して紫の背を見せているという仙境であった。
色々と人の気配を感じたのに警察に連絡とかも入れなかったの???
これ勝手な解釈ですが、、、
昔って今は考えられない、想像を絶する事があったのも事実
自分は聞いた話でしかないのですが恐ろしい話(恐らく事実)もある
山で言えば姥捨て山とか、、、
言い伝え、伝説なのか事実なのか考えるだけで悲しい話もありますよね
まぁ、口減らしですよ。。。
その口の減らし方が本当か嘘か。。。
昔、山ではなく海沿いでしたが、仕事してたら近所のおっさんが来て
暇つぶしなんでしょうねぇ
色々話かけてくるわけですよ
そんな中で、、、
『昔は、口減らしで、ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーとかしてた』
もう絶句ですよ
普通に言うんです、普通にあった事として
嘘か本当かわかりませんよ
しかし、普通に言うんです
ゾッとしました。。。
これ平成に聞いた話
なんとなくしか覚えてませんが、昭和の初め頃の事を言ってたんじゃなかったかなぁ。。。
嘘か本当かはわかりません
現代の感覚からは嘘と思いたい
しかし、そんな時代がまだまだ身近であったであろう頃、、、
まさに世捨て人になった山本某さんをあえて見つける、警察に連絡するって意識すら当時はなかったのかも知れません
それか世捨て人になった理由を知ってたんでしょう。。。
昭和初期に田舎で色々あっても、誰にも知られる事はなかったでしょう
今は想像できない差別等もあったでしょう
この話は神秘的な事ではなく人為的
山本某さんが世捨て人になった理由があると思う。。。
この話が本当ならね、、、というか本当だろうね
平家平
平家平には、昔から平家の落人の怨霊がさ迷っているという伝承があり、正月と盆の十六日は登山を禁忌していて、この日には赤旗が立つとも言われている。
全然知らなかった。。。
また行く時があれば気を付けておこう
平家平は一回しか行った事がないけど
今まで一度しか会った事のないマムシに会ったのが平家平
怖かったなぁ、、、
行ったのお盆近く、、、
知らなかったとはいえ、お盆じゃなくて良かった
こういうの知ったら、あえてその日には行きたくないです
この山隠しにあった女の子も、ここに祀ってある叢祠の幣をもてあそんだ崇りであるなどと言われていたということであった。
子供のしたことで神様もそこまで怒らなくても、、、と思いますが
この話が嘘でも本当でも関係なく
失礼な、罰当たりな事はしない方がいい
そういう事を言いたいんでしょう
山に限らず普段の生活でもそうでしょ?
イラズ山
ところによってはイラズ山というのがあり、女子供の入るのをタブーにしているのがある。
高岡郡東津野村にある不入山(一三三六㍍)なども、元来はこうした信仰のあった聖域の一つであったと思われる。
東津野(現津野町)の不入山の名前の由来は、、、
土佐藩のお留山であったのが山名の由来であるという説が有力である。
そのため、自然が残っていて、深山幽谷の趣がある。
Wikipediaをみると、こういう説明があった
三嶺であった方に聞いたんですが、三嶺もお留山だったそうで、だから自然豊かなんだそうです
不入山は、自分が知ってるだけで
四国には高知と徳島にある
徳島の不入山は何回か行った
好きな風景のある山です
冬は高知から行くのは遠くなるから辛い。。。
高岡郡東津野村(現在の高岡郡津野町)の不入山は四万十川の源流で源流の碑もあるから、訪れる人は多いでしょう
ブラタモリでタモさんも行ってたしね
こちらの不入山は行った事がない。。。。。。。。
まとめ
必要以上に怖がることはないと思いますが
失礼な事、罰当たりな事をしない
個人的には、これだけの事だと思います
なんてない事も怖がって、必要以上に避けると、それを原因だと思い込んでしまう
なにかのせいにしたくなってしまう
色んな事に無理矢理関係があるかのように考えてしまう
負のループ
それでも神秘的な事にあってしまったら、、、
人の力ではどうしようもないですよね
石鎚信仰しているご家族なのに石鎚山には登らない、入らない方が良いと言われている方にあった事があります
本人も、なんかザワザワするんだって
その方と息子さんは石鎚山には登らないそうです
他のご家族は登ってるし、行事の時はお手伝いで石鎚山に数日籠るそうです
この、ご本人曰く、、、
不思議な遭難で、なにも手掛かりが見つからないっていうのは
本人の意思で動いてないから、どこに行ったのかもわからないし、手掛かりになる物も見つかる筈がない
人の意思で歩いてないから、どこに行ったか考えても解る筈がない
事故ではないから
って事だそうです。。。
信じるか信じないかは、、、
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