古典山岳文献、写真も保存
一番の目的は達成
しかし、GeoLog Project が年内(2022年)でサービスを終了するとの事。。。
すると、ここを見ていた方からコメントを頂いて『四国の山なみ』を一括保存しました
これで、のんびり作業できます
山行等はそもそも保存するつもりがありませんでしたが
全てではありませんが気になる物を保存・紹介して行こうと思います
今回は雑誌山です
※四国の山なみシリーズは一部ダークモードに対応していない箇所があります。ライトモードでご覧ください。文字の色、背景色等を変更して元の雰囲気を壊したくないので。迷走の雑誌山
平成十八年十一月八日(水)~九日。晴。
友人と二人で池川町の雑誌山(ぞうしやま、一三二七・六㍍)、西雑誌山(一三四一㍍)、有名なカラ池(一二三五㍍)を目指す。
目的はすべて達成したが、歩行が夜間に入り迷走した結果、植林の中でビバークし、翌朝下山したが下界では大変な騒ぎになっていたのである。
右が雑誌山 左が西峰
山頂から南七五〇㍍から高度一二五〇㍍で撮影
(カシバード3D)
詳 細 登 山 地 図
赤旗が雑誌山
赤線が歩行ルート、×印で赤線を引き返し、青線が迷走ルート(想定)
茶線が雑誌山へのルート
左上の矢印が雑誌山、左下が西雑誌山、中央がカラ池
この日、八時二十七分、高知市発。国道三三号線を西に進み、九時二十四分、川口橋(五四・二㌔)で右に国道四三九号線に入り、池川大橋の手前を左折して町道を行く。
ツボイ集落を過ぎ、立派な大規模林道小田池川線(六一・一㌔)に入って、十時十七分に水ノ峠(一一二七㍍)への分岐、同四十二分に舗装が切れる登山口手前(一一三〇㍍)着。六八㌔、二時間十五分を要した。
南西に中津明神山の神々しく眩しいほどの美しい山容が見え、しばし見とれる。
計画は、先ずカラ池に行き、続いて黒滝峠への道を進み、途中から薮漕ぎで右の尾根道を直登して西雑誌山へ、さらに雑誌山を通過して尾根筋の分岐から登山口に至る一周コースである(登山詳細地図参照)。
十時五十五分、駐車地から百㍍進んだ登山口から出発。
直ぐに桧の植林地に入る。
道は広くよく整備されている。
十一時四分、右に作業小屋のような家屋とトイレが見える。
同五分、T字形の三叉路(一一九五㍍)に来る。
この三叉路が実はとんでもない迷走の発端地であった。
ここには両側に竹竿が立てられテープが付けられていたが、ここで前後左右をしっかり確認しておくべきだったのである。
この東西の道筋が余にもはっきりしていたので、帰路ここを無頓着に通り過ぎてしまい、大変なことになるのである。
右に進めば鳥居を経て雑誌山だが、先ずは左折してカラ池に向う。
同三十分、植林を抜け出し自然林に入る。
クマザサ、紅葉が日光に映えて気持のよい歩き。
同五十分、東のカラ池着。
窪地になって草が生えているが水はない。
適当な雨量があれば池になるという。
昔はワサビが繁殖していたらしい。
マユミの大木に真紅の果実が付いて鮮烈である。
紅葉したはずの葉は既に落ちている。
ここで三四人の中年男性に出会ったが、登山客ではないようだ。
後で判ったことだが、役場の職員だった。
元の道に戻り、さらに西に進むと十時七分、西のカラ池がある。
こちらの方が景色がよい。
北東に自然林のやさしい形をした雑誌山が指呼の間である。
十二時十一分、ここから黒滝峠方面に進むと、同十六分、西雑誌山への尾根筋の取り付きがある。
勿論、道はなく、クマザサとノバラと低木の急坂を目印を付けながら登る。
同二十七分、南西に見える「カラ池山」(一三五二・一㍍)、南に三方山、鳥形山、四国カルストが見えるコブに躍り上がり、ここで右折する。
ここから約一・五㌔に及ぶ尾根筋が誠に心地よい歩きである。
自然林で下草は膝下までのクマザサで、道はゆったりと南北に落ちているので土塁の上を歩いている感じである。
北方はブナが落葉して樹間から石鎚連峰がくっきり見えるが、葉の茂った晩春から初秋にかけては何も見えない尾根道だろう。
年間を通じて落葉した今頃が一番よい時季の一つと思われる。
同四十八分、西雑誌山が見える所へ来る。
十三時六分、平坦な尾根道を進んでいる。
同十六分、通り道のような西雑誌山着、「境第一号」と彫り込まれた石柱がある。
カラ池から一時間五分を要した。
これから同じような尾根道を左に石鎚連峰を眺めながら進んでいると、十四時二分、雑誌山着。
西雑誌山から四十六分、登山口から三時間七分を要したことになる。
尤も、この時間には遊びの時間も含まれている。
山頂は直径三㍍位の円形に刈り込まれており、北方に石鎚連峰がチラチラ見える。
南方は樹林で何も見えない。
十四時三十五分、雑誌山を出発して東に進む。
山頂を下ると直ぐに道の南側は植林地帯になる。
同四十三分、コブがあり「境第一号」の石柱がある。
同四十七分に第二のコブ、同五十分、「境第二号」の石柱があるコブ。
同五十三分、小さな祠がある。
石鎚云々と打ち抜かれた黒い金属板が見える。
十四時五十七分、三叉路に来る。
ブナの大木がある。
真っ直ぐ行けば水ノ峠、右折して下に下れば登山口であるが、この時はこれに全く気が付かなかった。
ここから迷走が始まるが、迂闊といえば迂闊、勉強不足の自業自得である。
人の所為にする積もりはないが、ブナの大木の向う側に派手に幾つものテープが巻き付けられているので、これにつらされてついうっかり通り過ぎた。
水ノ峠から来た人ならブナの大木の手前でテープを確認することになるので、左にある降り道に気が付いたかもしれないが、なんといってもここを登って来なかったことが致命的であったと思う。
迷路とも知らずに、ここをどんどん東に進んで行くと、右に降りながらクマザサが腰の高さになってくる。
やがて荒れた鞍部の四辻のような所へ来る。
左(東)には下降した鞍部とピークが見える(これが水ノ峠方面)。
南と西にも踏み跡があり、夫々に目印が付けられている。
南に行くと降っていくので暫らくこれを進むと、植林地に入った。
目印はなかったがここを強引に下降したが、次第にどこへ進んでいるのか判らなくなった。
左にはやや大きい谷が見えるがこれを降るのはどうかを検討したが止めた。
迷走が明らかになった以上、もと来た道を引き返すことに決定。
ここで一時間半の無駄な時間を費消した。
この日の日没は十七時九分である。
急がなければならない。
幸い懐中電灯を三本持参していたので幾らか気が楽である。
十六時二十分、雑誌山山頂に戻る。
途中、ブナの大木の分岐を通過したが、やはり気が付かない。
日没まで四十九分しかない。
走るように取って返し西雑誌山に同四十分着。
太陽は西の山に隠れようとしている。
少し進むと、クマザサの藪漕ぎの所に来た。
しかし目印が見当たらず、遂に電池を点けてあちこち探したが見当たらない。
ようやく右方に目印を見つけ、これを確認しながら滑るように下降する。
とっぷり日が落ちて電池だけが頼りになる。
十八時丁度、西雑誌山への登り口に降り着く。
少しホッとする。
ここからは広くアップダウンの少ないよく整備されている道である。
ここでは、一先ず腰を下ろして一服するべきだった。
私は何時も携帯用の小型録音機を持参しており、要所で時間とか状況等を記録しているので、ここから登山口への分岐までどれ位の時間を要したか確認(四十分弱)するべきだった。
また自宅に電話を入れるとか、最悪の時はビバークも止むを得ないことも連絡して置くべきだったのだ。
この道は歩き易いのでどんどん進む。
この懐中電灯は全体を広く照らすタイプでほんの周囲だけしか見えない。
やはり焦点を自在に変更できるタイプのものがよい。
遠方が見えないので真っ直ぐに進むしかないようになる。
このため昼間でも見落とし易い登山口への三叉路を真っ直ぐに突っ走ってしまったのである。
ここを通過したのは、推定だが十八時三十五分前後だったと思う。
この時間に立ち止って或いはゆっくりと用心深く右側への三叉路を探して行くべきだったのである。
不運にも真っ直ぐの道にも丹念に目印が付けられており、これを頼りにしたのが間違いだった。
途中でおかしいと気が着いた時はすでに遅かった。
十九時を過ぎて戻る道も判らず、ただうろつくだけになった。
友人が突然用便を訴えた。
緊張すると催すらしい?
私も漆黒の暗闇で座り込んで考えた。
正規の道を見失った。元へ戻ることもできない。
だが今通っている道は、目印も付いているし、下降しているので、このまま進んでしまおうと……
これから後は、目印だけを探しながら植林の支尾根道を下降していく。
その内に目印がなくなった。
ここら辺りで途切れたのである。
これを闇雲に下降して行くこともできたが、遂に精も根も尽き果てて、座り込んだ。
ここでビバークすることにせざるを得なかった(推定標高・一一三〇㍍)。
二十時丁度であった。
六時間弱ひたすら歩き続けたのである。
直ちに、焚き火を始めた。ここは桧の植林地で、枯れ枝は豊富である。
それにここしばらく降雨もなかったので乾燥している木が多かった。
弱い北風が吹いていたが、これは夜明けまで変らなかった。
自然林だったら風は吹き通しだし、枯木も少なかったであろう。
食料は握り飯一個、飴玉四個、ポカリスエット五〇〇㏄、空腹は感じないが、飴玉をしゃぶった。
少し落ち着いたところで、自宅に連絡しようと友人の携帯電話を取り出したが、なんという不運か、電池が上がっていたのである。
このような事は今までなかったいう。
(後で知ったことだが、山では電源を切っておかなければならない。電波が圏外の状態が多い山中では電波を探知しようとするため、電池の消耗が大きくなるためであるという)。
連絡が取れないのには困った。
私共は年齢も年齢だから家族が心配して警察に通報するのではないか、又は、明日の午前中まで連絡を待つのではかとも話し合った。
しかし家族の方では携帯電話の電源が切れていたために最悪の事態も想定したという。
私共には危機感は全くなく、気懸かりは家族への連絡が出来ないことだけであったのだが……
次第に夜が更けて行き、気温も下がって行く。
地面が少し湿っていたのでビニール袋を敷き、雨具のズボンを上重ねする。
午前零時頃だったか、北東の上空、桧の樹冠から円い月が姿を現した。
次第に南西に進み、午前三時頃には真上に来た。
周囲が微かに明るくなったような気がするだけで状況は全く変らない。
少し眠ろうかと何度か交代で横になるが、寒さと寝心地の悪さでとても眠れる環境でない。
起き上がって膝を組む姿勢になる。
焚き火を見詰めるので、眼が痛くなる。
帽子を目深に被り直接火が眼に当たらないようにする。
交代で焚き木の収集をする。
ある程度大きくないと補給が頻繁になって面倒である。
直径一五㌢以上の枯木を引きずって来て、折ることができないのでそのまま火の中に突っ込む。
する事がないので、二人は思い思いに焚き火の世話をする。
次第に寒くなってくる。
【ここで参考のため、気温について書いておく。気象庁による「本川」観測点(標高・五六〇㍍)の記録があるが、これが最もビバークした地点の気温に近似しているであろう。即ち、当日の二十四時は四・七度、翌日の最低は午前六時の四・二度である。】
そのような時、夜が明けてからの行動について話し合った。
ここまで来た道を忠実に取って返し、カラ池への道を探る。
間違いなくカラ池への道だったら、植林から自然林に変るはずである。
これを確認して再び取って返し、登山口がある三叉路を探そうということになった。
しかし内心不安があって、どうしても問題の三叉路の記憶が浮かび上がって来ないので、忠実に来た道を戻る自信がなかったが、その事は口にしなかった。
それを言っても詮無いことであったからである。
ここまで来た道順を頭の中で反復しようとするが、やたらに道の両側に目印の付いた竹竿がちらちらするばかりである。
暗闇の中の歩行で周囲の印象がないのだからどうしてもそうなる。
午前四時頃、突然、南の方でマイクの声が聞こえた。
何だろうかと耳を澄ましたが、それきりで後は何もなかった。
この近くにはツボイ養蚕組合の施設があるので作業の事で連絡をとっているのではないかと勝手な解釈をしたが、実はそうではなかったのである。
ビバークは午前六時まで延々十時間に及んだが、その間一睡もできなかった。
日の出は六時三十一分だが、六時にはうっすらと明るくなって来たので、焚き火を消した。
燃え残りの木を地中に突っ込み、おき火は前後左右に広げて周囲の土を被せ、大きい木で叩いて消火し、さらに土を被せ小便を掛けた。
まだ薄暗いので、残り火がよく見える。
これで山火事を起こしたら大変な事になるという意識があって慎重を期したのである。
六時十分、夜営地を出発した。
先ず、ここから少し下がってみた。下に道路のようなものが見えたからである。
後から地図で点検してみると、このまま降下してもよかったのである。
大規模林道に出会うはずだったのである。
しかし、もうこれ以上の危険は避けねばならない。
目印と記憶を辿り、西方向へ向うことを意識しながらやや登りの道を進んで行く。
いつの間にか支尾根を登っており、そのうち尾根道に入った。
途中、展望が開けた所に来て中津明神山と猿越山が見えた。
その位置から私共は登山口からかなり東にいることが判った。
そこで来た道を取って返し、目印を探りながら北西に進んでいると遂に右方に鳥居と燈篭のある所に来た。
ここで歩き回るのを止めて、道の中央でどっかと座り込み、携帯して来た案内略図を広げたところ、果たして「小さな鳥居」の記述があった。
これによると、登山口への三叉路はここから直ぐ西にあることが判った。
注意深く左側に気を配りながら進んでいると、目印が付いた二本の竹棒が差し込まれた三叉路があった。
東西の道が広くよく整備されているし、夜間の歩行だったので気がつかずにそのまま東へ突っ走ったのだ。
「なんと言うことだ」と悔しがったが……
懐中電灯の歩きでは視野が狭くなり左右は殆ど見えなくなるのである。
この道を発見してからは、少し判り難い所もあったが、見たことがある谷を渡って行くと、林道が見えた。
午前八時丁度、ようやく登山口へ降り立った。
突然、上空でヘリの音。
訝りながら前方を見ると、車が数台駐車しており、警察の車が赤ランプを回している。
大勢の人もいる。
この時、無意識に後を振り返った。昨夜から見えていた月が北西の上空に浮かんでいた。
「これは何事だ!」と二人は顔を見合わせたが、直ぐにすべてを了解した。
一人の若い男性が走って来た。
友人の息子さんである。
私共は少し混乱しながら歩いて行った。
小生の息子もいた。
いろんな方の質問を受けたが、とにかく無事下山してよかったと声を掛けてくれた。
ここには警察十人、消防三十六人、役場四人、地元案内人三人、総勢五十数人の方が参集しており、いよいよこれから山探しに入ろうとするところだったのである。
家族からの連絡を受けた警察は、いち早く午前三時半、林道に入り私共の車を発見したそうである。
午前四時頃のマイクは、私共の名前を呼んだものだった。
関係者の周到な準備にはただただ感心するやら、感謝するやら、申し訳ないやら、反省するやらであった。
このような事案は、通常マスコミによって発表されるが、その基準は一日様子を見て、その翌日になっても進展がないときに始めて公表されるということである。
この後、私共は皆さんの前でお礼の挨拶をし、三々五々解散した。
その後で警察に立ち寄って署長と面談した時、
私が、
「あの三叉路の迷い易い場所に何の標識もないのは、少し不親切ではないか」
と、悔し紛れに文句(提言)をいうと、
部下の方に、
「人の所為にするものでない。事前に十分に調査をして自己責任で登るべきだ」
と叱られた。全くその通りで恐れ入った。
反論の余地はない。
後日、改めて挨拶回りをして一件は落着した。
カラ池や登山口方面からこの山を望むと、一見、落葉自然林のやさしい山に見えるが、実際歩いてみると、下草は膝や腰に達するクマザサに覆われ尾根筋以外は踏み跡に近い道なき道が多い。
とくに植林地は下草がないので道筋が定かでない。
しかもこの山には、道標というものがただの一つもない。
それに何故か広範囲に亘って赤やら黄色の目印がやたらに付けられているので判断を誤ることが多いのである。
特に迷う危険の大きい所は、「登山口へのT字分岐」及び「雑誌山から東に尾根道を行って鳥居経由で登山口へ向うT字三叉路」である。
両者ともT字の|への入り口が判り難い。
ついT字の―をそのまま真っ直ぐ進んでしまうが、前者は明確な目印に誘われてとんでもない植林の中へ迷い込む破目になるし、後者は水ノ峠方面まで延々と歩く破目になる。
私共の場合、前者は自身の不注意の謗りを免れないが、後者の場合は、西雑誌山から来た者にとっては経験のない場所で、先ず百人が百人、分岐に気が付かないのではないかと思う。
しかし案内文にある「ブナ」に注意を払わなかったのはやはり私共の不明を恥じるしかないのである。
追記 驚愕の第二回登山
あれからひと月余り過ぎたが、この侭ではどうも納得がいかないので、十二月八日、性懲りも無く再びこの山に向った。
この日は曇り勝ちで風が強くとても寒い。
今度は変な寄り道をせず、真っ直ぐに山頂(標高差一九八㍍)を目指す。
併せて東雑誌山、水ノ峠に行くつもりである。
九時五十三分に登山口着。
一時間四十八分を要した。
十時五分に登り始めて植林に入ってから十分、だしぬけに腰が抜けるほど驚いた。
なんと三叉路に真新しい立派な立札が立てられているのではないか!(登山口にもあった)。
ギョッとして、われわれ二人は思わず顔を見合わせた。
警察での悔し紛れの文句(提言)が効いたのだろうか?
思うに、地元では鳩首相談をした結果、やはり大変迷い易い所で、今までもそのような話は聞いてもいたので、なにか善後策を講じなければならないと考えた結果に違いない。
しかもあれから一ヶ月以内に設置しているので、殆んど即決のような処理をしなければ間に合わない理屈になるのである。
その行動の早さに驚くと同時に、地元が共有した危機感の切実さを痛感したものである。
「それほどに迷い易い所であったわけだな」と頷きながら話し合った。
三叉路を右にとり、十時二十七分に鳥居のある所へ来た。
この頃からとうとう雪になった。
突然、水ノ峠から来たという中年の男性に出逢って少し話しをした。
後日、この日に行った、小生の「苔むす石垣の東雑誌山」の紀行文を見て、「もしやあの時のあなたではなかったか?」というメールを戴き驚いた。
実はこの方は以前「薮漕ぎの正木の森」をアップした時にもメールを戴いた仁淀川町田村のG・Oさんだったのである。
正に奇遇というべきであろう。
メールによると、カラ池から北に回りこんで水ノ峠に帰ったということである。
凄い健脚である。
ここから植林の中の支尾根と小さい谷を登っていくと、十時五十四分、三叉路の尾根筋に飛び上った。
左は雑誌山、右は水ノ峠。
ここに例の目印となるブナの大木があってテープがやたらに張られている。
「前回はここをつい水ノ峠の方へ通り過ぎてしまったのだな」 と納得したが、始めてここを通る人はここから下降して、登山口に行くルートであることに気が付く者は誰もいないと思う。
というのは、ここに道があるようには全く見えないからである。
いきなり植林があるようにしか見えない。
知っていないと気が付かない道だと思う。
尾根の北側は雑木である。
ブナの大木に目印の吊り札を付けたが、ここにも立札が必要であると思った。
ここから植林を左に見ながら左方の快適で土塁のような尾根道をゆっくりと登って行くと、祠があり、さらに進むと十一時十六分、山頂である。登山口から五十八分を要した。
吹雪は収まったが相変わらず寒い。
山頂にはもはや用もないので、直ちに同十八分下山開始。同二十六分、コブ、山と書いた石柱。同三十分、第二のコブ、同三十三分、祠。同三十七分、三叉路。十二時丁度、鳥居。同三分、小さい谷を渡る。
同五分、第二の谷。
同六分、第三の谷。
同八分、三叉路。
同二十五分駐車地着。一時間七分を要したが、途中の遊び時間十分位が含まれる。
この後、水ノ峠、東雑誌山に向う。
感想
まず、、、
山岳紀行を順に見ていくと、、、
なんかイチイチ偉そう、上から物を言うジジイだな、、、
段々腹が立ってきた
私有地の立入禁止、許可を取った云々もあるが
基本的に山に入って何が悪い?
的な感じを受けました
非常に迷惑きわまりなく腹立つジジイだな
そこに、この遭難騒ぎの紀行
これを読んでいても腹が立つ、腹が立つ!!
これ家族だったら、、、
息子ならボコボコにシバき倒す!!
親なら、、、ジジイといえど、、、こんな偉そうなジジイは、、、
怒鳴り散らして大喧嘩、大説教するでしょう
自分は素人のハイキングおじさんで、この方に比べたら知識も技術も経験も糞みたいなものですが、ちょっと理解に苦しむ言動
経験、自信からくる勘違い俺様ジジイ
周りに怒る人間がいなかったんじゃないかと思う程です
絶対的に反面教師にした方が良い
アップするのは、、、文句しかでてこないから、、、と思ったんですが
これ読んで少しでも参考にすれば遭難防止にもなるかと思いアップします
現在はアプリ等があり、こういう遭難はかなり少ないでしょうが注意は必要です
アプリに関しては記事もアップして頼りすぎないように、アプリなくても問題なく下山できるのが基本にあってこそ。と思ってます
アプリはお守りで頼りすぎるのは危険です
アプリがなく自分が同じ立場になったらと想像して、この記事を読めば遭難防止にもなるかと思います
三叉路
この三叉路が実はとんでもない迷走の発端地であった。
ここには両側に竹竿が立てられテープが付けられていたが、ここで前後左右をしっかり確認しておくべきだったのである。
これ絶対に覚えて置かないと、、、
友人と某山に行った時
下山しているとY字になった別れ道が、、、
それでも絶対に左と言い張るので
じゃ~とりあえず行ってみるかと行ってみたら行き止まり
滝を見に行く道でした
『ほら見ろ!!』と言うと苦笑いしてましたが、、、
方向音痴なんですよ
それを自覚しているのに自信を持って左!!って言うんです
もし道が続いていたら、、、
もし1人だったら、、、
アプリを持ってなく答え合わせが出来なかったら、、、
間違いに気が付くのが遅かったら、、、
自分は間違いだと確信しつつ付き合って行っただけの事なので
絶対に二人が迷う事はないんですが
2人とも勘違いして、道が続いていたら、危ないですよね
こんな事が遭難のスタートかもしれません
ん?って箇所は確実に覚えておきましょう
テープ
真っ直ぐ行けば水ノ峠、右折して下に下れば登山口であるが、この時はこれに全く気が付かなかった。
ここから迷走が始まるが、迂闊といえば迂闊、勉強不足の自業自得である。
人の所為にする積もりはないが、ブナの大木の向う側に派手に幾つものテープが巻き付けられているので、これにつらされてついうっかり通り過ぎた。
見落としやすい所ってあります
自分も見落とした事があります
笹ヶ峰に行った時、トラバースから山肌を上がり作業道に合流
ここにテープがあったんですが絶対に見落とすから注意しないと!!
と思っても見落としました
下山の時、そろそろ分岐(テープ)がある筈、、、と思うのが遅くて
気が付いた時には通り過ぎていて、、、
通り過ぎてからテープを探しつつ歩いてました(^^;
あれ?っと思うまで5分位歩いたかな???
事前の調べで、そのまま真っすぐ行っても下山出来る事は把握していましたが無理はせず引き返しました
手首骨折リハビリ中で、『そこは急だから無理しないように』と教えてくれた方が居たんですよ
登山道(正確には作業道)沿いの木にテープがある
目立たない、見落としそうと気にしていたのに
見落とした(^^;
自分が見落としたテープは黄色
普通はピンクや赤が多いかな
これも誰がなんの目的で付けたのかハッキリしないのに信用すると迷う可能性が高くなる
ただただテープを信用する前に
信用していいテープかそうじゃないかの見極め
周りの状況、方向等々、条件から登山者が付けたテープかどうなのか考える
不安だったらアプリで現在地確認、答え合わせをする
アプリに頼るなと言ってますが状況次第です
もっているんだったら答え合わせしましょう
迷って時間ロスするよりマシです
ただ、こういう状況下にアプリ無しだったらと想像もしてください
それでもちゃんと下山できますか?
そこに不安があったらヤバいですよ!!
山へ行く前にだいたいで良いから地形、地理を頭に入れて置けば(前日に地図見るだけでも違う)
遭難の確率ってかなり減ると思います
山の中のテープは
もしかしたら林業関係者、測量会社が目印に付けたテープかもしれません
それを登山の為のテープだと勘違いすると遭難の第一歩です
注意しましょうね
迷ったら登れ
迷走が明らかになった以上、もと来た道を引き返すことに決定。
基本的に
迷ったら登れ
来た道を戻れ
って言いますよね
ここまで来たんだから、元に帰ることはできる筈
元に帰れば、登ってきた道を帰ればいいだけ
明確な登山道、記憶にある場所に戻るのが最優先
全く道が分からなくても
登って稜線、山頂等、見晴らしが良い所に出れば
そこからルートの検討ができる
って事でしょう
基本的に降ったら駄目
迷いながら降り続けるのは崖や通れない沢等が出てきたら、、、
戻る体力があればいいんですが、そうでなければ終わり
無理して更に降ろうとして滑落、死亡、、、
最悪のパターンです
自分は現時点では遭難はありませんが
遭難一歩手前?は経験あります
今思えば笑い話ですが、当時はドキドキでした
なんたって山に来たのが2回目
アプリも持ってない時でコンパスだけが頼り
山2回目にしてアナログ地図とコンパスで幻の池を探しにいって壮絶な藪漕ぎ経験しました
この時、事前に地図を見てルート検討したりしてたのが幸いしました
どの方向に道路があるか、どの方向を目指せば良いのかは把握していたんです
で、コンパスセットして道路目指して突っ切る。。。
当時の自分に言いたい
素直に来た道戻れ!!と
山に来たのが2回目、ソロ
更に初めての藪漕ぎが今考えても壮絶な藪漕ぎ
未だに、この時以上の藪漕ぎした事ありません
本当に凄かったです
白髪山の池に行っても無理して突っ切ったら駄目ですよ
経験者語るです。。。
迷ったら元来た道を戻りましょう
携帯電話
少し落ち着いたところで、自宅に連絡しようと友人の携帯電話を取り出したが、なんという不運か、電池が上がっていたのである。
雑誌山は行った事がないのでなんとも言えませんが、、、
そもそも携帯は通じない所が多いでしょう
基本的に下山するまで携帯触らないので、どこが通じる通じないは詳しくないです
たまに山で携帯が鳴ると気持ちが萎える。。。
なんで通じるんだよ!!って
遭難したら、こんな事は絶対言えませんが。。。
昔はauが山の中(と言っても仕事で行った車で行ける範囲)で最強でしたが
今はdocomoが最強みたいですね
携帯は山の中で最後の命綱にもなったりします
モバイルバッテリーは必ず用意しましょうね
危機感
私共には危機感は全くなく、気懸かりは家族への連絡が出来ないことだけであったのだが……
経験豊かな方だから、本当に危機感はなかったでしょう
危機感がなさ過ぎるのも困る時がありますが
危機感持ちすぎてパニックになると冷静な判断なんか絶対できない
遭難した時は冷静が1番だと思います
これ普段の生活、仕事でも、勝負事でも一緒
何かあった時には冷静が1番
自分は車のレースで学びました
アマチュアの草レースですが経験が浅い時、焦ると普段の運転ができませんでした
※公道じゃないですよ。サーキットですよ。
冷静に普段通りが1番強い。。。
現在地
途中、展望が開けた所に来て中津明神山と猿越山が見えた。
その位置から私共は登山口からかなり東にいることが判った。
これは流石ですよね
見える情報から、だいたいの現在地を把握できる
こうなりたいもんです
捜索人数
ここには警察十人、消防三十六人、役場四人、地元案内人三人、総勢五十数人の方が参集しており、いよいよこれから山探しに入ろうとするところだったのである。
これだけの人数が動くんですよ。。。
人数見ただけでも、どれだけ迷惑かけるか解りますね
クソジジイ
その後で警察に立ち寄って署長と面談した時、
私が、
「あの三叉路の迷い易い場所に何の標識もないのは、少し不親切ではないか」
と、悔し紛れに文句(提言)をいうと、
部下の方に、
「人の所為にするものでない。事前に十分に調査をして自己責任で登るべきだ」
と叱られた。全くその通りで恐れ入った。
反論の余地はない。
後日、改めて挨拶回りをして一件は落着した。
これ!!
信じられない!!
本当にムカつく!!
悔し紛れに文句だとぉ!?
余程、悔しかったんでしょう
自分に自信があるんでしょう
しかし!!
そう想っていても常識ある人間はこんな事は絶対に口にしない!!
そういう想いの前に迷惑、心配かけた事が大きく上回るから
しかも山のベテランが自分のミスを置いといて迷惑かけた方々に文句言うとか、、、
このクソジジイがぁ!!
家族は恥ずかしかった事でしょう。。。
現在なら老害と呼ばれネットで炎上案件ですね
時代に助けられたなクソジジイ!!
警察での悔し紛れの文句(提言)が効いたのだろうか?
思うに、地元では鳩首相談をした結果、やはり大変迷い易い所で、今までもそのような話は聞いてもいたので、なにか善後策を講じなければならないと考えた結果に違いない。
しかもあれから一ヶ月以内に設置しているので、殆んど即決のような処理をしなければ間に合わない理屈になるのである。
その行動の早さに驚くと同時に、地元が共有した危機感の切実さを痛感したものである。
再度登りに行って案内看板を見つけて、、、
言葉の節々に俺様のお陰感が漂う。。。
ムカつく。。。
何様じゃ、このクソジジイ。。。
これで迷う人がいなくなるとか、お手数かけてすみませんとか、他に言い方があるだろ!!
この方がどんな人なのか、全く知りません
文章だけを見て色々言うのは大間違いで失礼な事かもしれません
非常に良い人で周りの皆に慕われて、頼りにされている人格者かもしれません
自分は『四国の山なみ』ってサイトを見ただけの事です
それしか情報はありません
しかし
警察で文句言ったっていうのは、どうやっても理解できません
再度、雑誌山に行った時の紀行を読んでも反省とは違う物しか感じられない
後悔ではなく
ちゃんと反省しろ!!
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