四国の山なみ保存計画十六弾
古典山岳文献 四国の山山 の中から 横倉山 を紹介します
第一弾はコチラ
※四国の山なみシリーズは一部ダークモードに対応していない箇所があります。ライトモードでご覧ください。文字の色、背景色等を変更して元の雰囲気を壊したくないので。古典山岳文献
四国の山山 ~ 横倉山
高岡郡越知の街の西端で、仁淀川の支流を渡ると、すぐ県立公園横倉山登山口がある。
所々、蛇紋岩の吹き込んだ白亜層の尾根を西へ進むこと約二㌔で、道は尾根の北側を巻く形となり、地質も閃緑岩の大迸入地帯となる。
海抜七七四㍍の横倉山の突骨とした石灰岩列が、眼前へ迫ってくる。
閃緑岩の露頭地帯を過ぎると、地質は秩父黒帯の下部層となる。
程なくスギの巨木の大樹林地帯に入り、昼なお暗く道路は約五百段の石段となって、これを登り切ったところに杉原神社がある。
仰ぐスギの巨木の梢から梢ヘムササビの飛ぶこともあるという。
中央の突起が「馬鹿試し」
横倉口から五㌔で御嶽神社に達し、付近はゴトランド紀の石灰岩の大露頭である。
ここからの眺めも絶佳である。
神社裏の石灰岩の大突出は、いわゆる〝馬鹿試し″で、スリル満点。
下から見上げると二十㍍の空中に突き出た石灰岩の庇である。
馬鹿試しの真下の石灰洞は〝平家の岩家″といわれる伝説の洞穴である。
これらの石灰岩には貴重な化石を含み、なかでも三億五千万年以上も昔の、ゴトランド紀の海底に住んでいたハチの巣サンゴや、鎖サンゴの化石は、日本でも得難い見事なものがある。
安徳天皇御陵墓
御嶽神社のすぐ西北に、安徳天皇御陵参考地があり、ここを原産地とするコオロギラン、ヨコグラツクバネは横倉山植物の著しいものであり、馬鹿試し付近は、ヨコグラブドウ、ヨコグラノキの原産地である。
御嶽神社から西へ二㌔で主峰一〇一〇㍍の北側に達する。
ここは南に太平部落へ下りる道と、東北に野老山(ところやま)へ下りる道との峠にあたり、秩父累帯上部層の千枚岩の中を野老山へ下りるには、大屋敷を経由するコースと上ノ峠を経由するコースとがある。
距離は六㌔、前者のコースの途中にマンガン鉱を採掘した大起鉱山があるが、いまは休山中である。
なお横倉口の南方距離一・五㌔には有名な大樽の滝がある。横倉山への往路か帰路に足をのばしてみるのもよい。
(「四国山脈」より・昭和三十四年、沢村 武雄)
横倉山鳴動
明治二十二年八月十日、午後五時頃、高岡郡佐川村より特報あり。
一昨八日来、佐川近傍頻りに鳴動し昨日午前八時には二回強き震動あり、
又過日越知村の御嶽山(横倉山)住吉神社の山上に幾尺とも知れず、大穴あき毎朝煙の如きもの出る由との異状を報し越したるに付、
我社(土陽新聞社)にては目下熊本の大変災と云い、近県にても地震の報、
日々接手する今日、萬一事実ならんには由々敵大変なりと、直ちに社員一名実地へ派遣し聞合さしめたるに、
越知村横倉山、七八日頃震動し、その音響は該麓近くにて聞くよりはやや離隔したる地にて、きく方余程烈しくして、恰も大砲を地底にて放つが如く、
一咋朝も鳴動したりしが、咋朝は未だその音を聞かざりしとの事であった。
横倉山
又越知村より横倉山へ上り、煮売り商いをして居る、西森常次、同郡野老山村の同商姓不知喜三郎の両人の話しを聞くに、
同山震動せる時は、立茂りたる樹木動揺して、中々物凄かりし云々と尤も住吉神社の山上に、幾尺とも知れず大穴あきたりというは、
通信者が少しく事実を誤りたるものにて今回同山に大穴あきたる様子なく、
古くより同山は、一個の大穴ありて、平素折々煙様のものを吹出せしが、過日来其の煙気の強く立上る容子に見受けたりとの事なり。
(土佐明治史より、明治二十二年八月十三日付土陽新聞)
少しでも読みやすくと思い改行を追加しています
改行以外は何も手を加えていません
感想
横倉山
高岡郡越知の街の西端で、仁淀川の支流を渡ると、すぐ県立公園横倉山登山口がある。
当時は道路が走ってなかったんですね
下からとなると横倉山も、なかなか大変そう(^^;
現在は道路で上の方まで行けます
第三駐車場まで車で行けば楽ちんハイキングです
杉原神社まであっと言う間になります
馬鹿試し、平家の岩屋
神社裏の石灰岩の大突出は、いわゆる〝馬鹿試し″で、スリル満点。
下から見上げると二十㍍の空中に突き出た石灰岩の庇である。
馬鹿試しの真下の石灰洞は〝平家の岩家″といわれる伝説の洞穴である。
馬鹿試し
こういう危ない所をわざわざ行くから馬鹿を試すってなったみたい
向いから馬鹿試し
平家の岩屋
ザックデポして行ったのでヘッデンもなく、、、
隅々まで見る事ができませんでした。。。
少し前に紹介した高板山にも安徳天皇のお墓があります
四国は安徳天皇、平家の伝説が沢山あり
どれも本当だと思うし、どれも嘘はないと思う
真実は誰も解らないだけ。。。
植物
ここを原産地とするコオロギラン、ヨコグラツクバネは横倉山植物の著しいものであり、馬鹿試し付近は、ヨコグラブドウ、ヨコグラノキの原産地である。
凄い山なんですね、、、、知らなかった。。。
牧野富太郎が何度も来たんでしょうねぇ
横倉山には自然の森博物館があります
近くには牧野公園があります
更に、、、
光キノコも自生しています
見に行った事がなくて、、、
フリー素材から拝借
カメラに詳しくないと撮影もできないし(^^;
大樽の滝じゃなくて聖神社がお勧め
なお横倉口の南方距離一・五㌔には有名な大樽の滝がある。横倉山への往路か帰路に足をのばしてみるのもよい。
行こうかな、、、と思いつつスルーしました
他に目的地があったから!!
それが聖神社
聖神社 ~ 土佐の投入堂
横倉山をガッツリ散策するとセットで日帰りがキツクなりますが、、、
横倉山をそこそこにすれば聖神社とセットで日帰りできます
横倉山鳴動
明治二十二年八月十日、午後五時頃、高岡郡佐川村より特報あり。
一昨八日来、佐川近傍頻りに鳴動し昨日午前八時には二回強き震動あり、
我社(土陽新聞社)にては目下熊本の大変災と云い、近県にても地震の報
ググってみても佐川の地震情報はなかった。。。
熊本では大きな地震があったようです
1889年 7月28日 明治 22 年 熊本地震 M6.3
土陽新聞とは、、、
板垣退助の創立した政治結社「立志社」の機関紙『土陽新聞』から独立して、1904年(明治37年)9月1日に『高知新聞』を創刊。のち1941年(昭和16年)、土陽新聞を吸収合併して高知県における唯一の日刊紙となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
又過日越知村の御嶽山(横倉山)住吉神社の山上に幾尺とも知れず、大穴あき毎朝煙の如きもの出る由との異状を報し越したるに付、
越知村横倉山、七八日頃震動し、その音響は該麓近くにて聞くよりはやや離隔したる地にて、きく方余程烈しくして、恰も大砲を地底にて放つが如く、
古くより同山は、一個の大穴ありて、平素折々煙様のものを吹出せしが、過日来其の煙気の強く立上る容子に見受けたりとの事なり。
住吉神社に大きな穴があり煙が出る?
大砲を放った時の様な大きな音がする?
う~ん、、、
不思議な話だ、、、
住吉神社とは全く関係ない場所ですが
登山道に深さも何もわからない小さな穴があった
たまたま石の組み合わせで出来た物だとは思いますが、、、
平家の岩屋にある、この穴、、、
色々想像膨らむよねぇ!!
住吉神社の謎
ちなみに、、、
住吉神社なんですが
現在祠のある住吉神社はココ
鎖場になってます
で
なんだコレ!?と探しに行ったのが
地図にバッチリ印があるのに
ここには跡っぽいものもなく
本当に何もありませんでした
元々、ここに立派な住吉神社があったのか?
行った時の様子
現在の横倉山
写真撮りすぎて2回に分けてアップしてます(^^;
謎の神社はコチラ
横倉山とセットで行くのがお勧め
記事の意図
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