四国の山なみ保存計画第二弾です
古典山岳文献 四国の山山 の中から 石鎚山系 を紹介します
第一弾はコチラ
※四国の山なみシリーズは一部ダークモードに対応していない箇所があります。ライトモードでご覧ください。文字の色、背景色等を変更して元の雰囲気を壊したくないので。古典山岳文献
四国の山山~石鎚山系
石鎚山は四国山脈の盟主というに相応しい。
主峰天狗嶽は一九八一㍍、東の剣山の一九五五㍍を凌ぎ、近畿以西の最高峰を誇っている。
この山のもつ魅力は山の高さそれだけではなくて、主峰以下一七〇〇㍍以上の山山が十数座を数える雄大なスケール、天狗嶽に代表される男性的な山容と岩壁、瓶ガ森を典型的なものとする穏やかなスロープなどの変化多い地形と地質、これらの山山の麓の処女林に包まれた渓谷美、さらに山麓の暖帯林からシコクシラベの優占する亜寒帯林までの西日本の代表的な植生の垂直変化など、その多面性にある。加えて中世に遡る歴史をもつ日本七霊山の一つとして古い信仰の山であり、四国の人人にとっては「お山」といえば石鎚山を指すほどに親しまれている。
しかし、この古い歴史にもかかわらず、アルピニズムの対象として浮かび上がってきたのは、それほどの過去のことではない。とくに氷雪や岩壁が一般的になったのは、戦前少数の先人はあったが、主に戦後の若い岳人たちの力によるところが多い。
中津明神山から石鎚連峰を望む
中央左が石鎚山、右のこんもりした山が筒上山
その左が手箱山、筒上山の左が瓶ケ森
石 鎚 山 系 図
※ここ元記事はリンクになっているんですが
サイト内のリンク間違ってます
更に地図は最近の物なので割愛します
瀬戸内側からの登山路は西条、伊豫小松からバスで河口橋または西の川に入り、そこから約五時間で石鎚神社成就社に達する。
これが昔からの表参道であり、七月一日の「お山開き」のときの御神体はこのコースを登る。頂上の北壁を仰ぎながらブナの林の中を八丁坂の上り下り、ウラジロモミが茂る夜明峠を経て、二時間で一の鎖元につく。
ここからはすでに亜寒帯林に入り、ウラジロモミにかわるシコクシラベが出てくれば鎖三つを攀じて約一時間で山頂に達する。
これに対し、高知や松山から国鉄バスで御三戸まで行き、さらに面河川を遡って関門着、ここから一時間たらずで登山口に達する。
この新緑、紅葉の景観で知られた面河渓は、最近の石鎚登山では玄関口となり施設も完備された。渓谷付近は暖帯林上部の林相を呈し、パノラマ台付近のコウヤマキの林も見事である。渓流に棲むヤマメの群れ、カジカの鳴き声も捨てがたい。
登り口の暖帯林から温暖林への移りかわりに、登りゆく山の高さをしみじみと感じながら、約一時間半で面河山の稜線に出ると、真正面に天狗嶽南壁が現れ、遠く岩黒山、筒上山が頂上を見せ、眼下には御来光の滝がブナ、ミズナラの茂みの間に望まれる。
ここからは頂上を右に見ながら約二時間、ブナ林が終わりササの中に濃い緑の樹冠を揃えたシコクシラベの林を抜けると三の鎖に達する。
石鎚山天狗岳
高知側からのアプローチは愛媛側に比べて目立って長い。
池川町安居から軌道沿いに約三時間で大滝神社に至り、ここからさらに三時間で筒上、手箱山の鞍部に着く。
ここには大きな行者堂があり、宿泊もでき、筒上山(一八五九㍍)、手箱山(一八〇六㍍)へ足をのばしてもよく、北西に石鎚主峰の山容が望見される。このあたり初夏にはツクシシャクナゲ、アケボノツツジ、ヒカゲツツジ、ゴヨウツツジが美しく、盛夏にはコメッツジの白い花に彩られる。
ここからは主にブナとウラジロモミの多い林を潜り、ときに広いササ原をトラバースしつつ、約二時間で土小屋へ、さらに二時間を要して二の鎖元で、成就社からの道に出て頂上に達する。
高知から石鎚登山のもう一つのコースとして、バスで仁淀川支流を遡ること約四時間で長沢に着き、四国最大を誇る長沢ダムを経て越裏門に行く。
このダム沿いの道も最近バスが通るようになった。越裏門から約一時間半で平家落人の伝説を秘めた寺川部落に一泊し、翌日はここから四時間で一四〇一㍍のシラザ峠で縦走路に出る。
右に道をとれば二時間で瓶ガ森へ、左にとれば伊吹山、土小屋を経て石鎚山までは約五時間の行程である。
石鎚山脈は断層山脈の完全な形を残しており、南面に比し北面は急な断崖が凄まじい様相を呈しているところが多い。
主峰天狗嶽は安山岩の岩壁がそそり立ち、若いクライマーを惹きつける。
岩はよく締まって快適であり、最近はルートもよく開拓された。
南壁への取りつきは面河川を遡るか、愛媛大のヒュッテから御来光の滝に下り、沢を遡る。
北壁へは縦走路から取りつけばよい。
頂上からの景観は素晴らしく、南は土佐の山山が重畳し、好天の日には太平洋も望まれる。
東は遠く剣山が、西には二ノ森、西冠岳の山なみの遥か、九州路の眺望もほしいままにすることができる。
北には西条の市街、東豫平野の緑、瀬戸内海の紺青が眼下に開け、夜は街の灯火や漁火が美しい。
流れてゆくガスがシコクシラベの梢をかすめ、夏なおウグイスの声は美しく、星空のもと静かな山の夜は、ホトトギスの声に更けていく。
かつて氷河期のころ、この石鎚山にも極地高山要素の植物が茂っていたに違いない。
しかし気候の回復とともにそれらは漸次後退あるいは絶滅し、今はただ亜寒帯林が約一八〇〇㍍付近以上にだけ見られ、高山帯には勿論達していない。
だがそのころの植物の一部は岩場を中心にして残存し、それらのあるものはこの山脈で特有の型に変化した。
天狗嶽の岩壁に見られるミヤマダイコンソウやシロバナシャクナゲはその例であり、ハクサンイチゲと近縁のシコクイチゲはそうした残存固有種であろう。
イシヅチボウフウの白い花も、夏の登山者の目を楽しませ、イシヅチテンナンショウの奇異な姿も、春の明るい樹林の点景である。
一木一草に遠い過去を偲ぶことも、また山に登る人々の心を豊かにしてくれる。
しかし、石鎚登山者にとっての大きな魅力であり、楽しみでもあるものの一つはこれから遠く、岩黒山(一七四六㍍)、伊吹山(一五〇三㍍)、子持権現山(一六七八㍍)、瓶ガ森(一八九六㍍)、西黒森(一八四〇㍍)、東黒森(一七三六㍍)、伊豫富士(一七五六㍍)、寒風山(一七六五㍍)、笹ガ峰(一八六〇㍍)さらには冠山(一七三二㍍)から平家平(一六九三㍍)を経て、三ツ森峠にいたる縦走であろう。
県境の稜線にそって石鎚山から瓶ガ森まで一四㌔、それから笹ガ峰まで一五㌔、眺めをほしいままにしながら、あるいはブナの密林やダケカンバ(シコクダケカンバ)の疎林に入り、あるいはササ原の路をわけてたどる快適なコースは捨て難いものであろう。
コケむした樹林の霧しずくも、ときに出会う驟雨もまたよいものがあるに違いない。
長沢から入る石鎚登山の逆コースをとって、頂上からシラザ峠までの約五時間の途中には、ササに覆われた緩やかな山頂の伊吹山があるが、シラザ峠から瓶ガ森への途中には、伊吹山とは対照的な岩峰の子持権現山があり、鎖を頼ってその頂に登ることができる。
夏はこの岩峰のもとにシモツケソウのピンクの花に混じって、四国特産のシコクシモツケソウの白い花を見ることができる。
西黒森から見た瓶ケ森
瓶ガ森は広々とした高原状のササ原がつづき、そのなかに点々として立つウラジロモミは、長い年月の風雪を物語る白骨と木を交え、西には雲表に聳える天狗嶽を仰ぐところ、石鎚山脈中でも絶好の憩いの場所といえ、宿泊施設もあり、またキャンプにも好適である。
瓶ガ森までの縦走路が一般向きであるのに比べて、ここから笹ガ峰までは、かなりの健脚を要する。
ことに瓶ガ森と西黒森の間の鞍部の上り下りや、寒風山の痩せ尾根の登攀には、相当のアルバイトを強いられる。
しかもこのコースには水が殆どないのも注意しなければならない。
瓶ガ森から笹ガ峰までは一日の行程であり、笹ガ峰には立派な宿泊設備があり、またこの山には石鎚山以来見ることのできなかったシコクシラベの林が現れ、ここから東ではまた剣山まで姿を消してしまう。
笹ケ峰(笹ケ峰自然環境保全地域)の植物分布
山頂付近はススキ、笹原、コメツツジが混じる。
下部はブナ、ダケカンバ、ウラジロモミ、シコクシラベ
笹ガ峰からの下りは北に向って黒森山を越えて中萩に出るコースがあり、またここから新居浜に出ることもできるし、あるいは寒風山と伊豫富士の中間の桑瀬峠からは北は加茂川の清流沿いに西条へ、南は大川村日ノ浦を経て吉野川に沿って高知方面へ、それぞれよい道ができている。
また三ツ森峠までは健脚の者にとっては半日の行程であるが、冠山付近ではかなりのブッシュに悩まされ、平家平からの稜線の下りもややきつい。
しかしこのコースは北側に銅山川を隔てて赤石山脈が望まれ、主峰東赤石山が特異な山肌を見せて、登山欲をかき立ててくれるのも楽しみである。
三ツ森峠からは愛媛側は旧別子を経て新居浜へ出られるし、高知側は大川村に下る道はよい。
簡単に触れてきたが、コースはこれだけに留まらない。
さらに新しく、そして興味あるものが開拓されることであろう。
夏山に比べて、春山、秋山では条件はかなり異ってくるし、とくに冬山ともなれば大いに異り、ことに天狗嶽北壁直下の積雪は相当量のものを覚悟しなければならない。
またそのためにグリセードやピッケル、アイゼンの技術など大いに楽しむことができるし、夏山とは異った冬山の味わいに、十分の満足を得ることができる。
最近には愛媛、高知両県の若い活動的なクライマーによって意欲的に新しいルートも開拓されつつあるが、なお知られないバリエーション・ルートも多く残されていよう。
石鎚山は初心者から熟練者まで、それぞれの技術に応じ、体力に応じ、また四季それぞれの季節に応じて、十分に山をたのしみ、山の良さを味わうことができる。
その人の能力に適したコースと日程によって頂くことを願いたい。
(「四国山脈」より・昭和三十四年、高知大学 山中二男、
石楠花山岳会 畠山陽年)
少しでも読みやすくと思い改行を追加しています
改行以外は何も手を加えていません
感想
土小屋
現在、高知の人間は石鎚山の登山口は土小屋がメイン
当たり前ですが車で土小屋まで行きます
その土小屋
昭和三十四年時点で土小屋までは道路がなかったんだ、、、
土小屋まで歩くとか、、、
絶対に嫌だ。。。
じゃ~石鎚スカイラインはいつできたのか?
調べてみると
昭和45年、関門(標高650m)から土小屋(つちごや/標高1500m)まで、延長18.1kmの有料道路「石鎚スカイライン」が5年の歳月をかけて完成。平成5年5月11日に県道となり、平成7年9月1日に無料開放。
スカイラインのお陰で石鎚山系を気軽に楽しめるようになったんですね
桑瀬峠から北へ?
この記事の中に出てくる話は現在と大きく状況が違うのは当たり前なんですが
あぁ~、あそこか
あぁ~、そこ今も小屋あるね
なんて所もある
その中で、、、
桑瀬峠からは北は加茂川の清流沿いに西条へ、、、
これが気になった
廃道は間違いないと思うけど、好き物が歩いている可能性も、、、
伊予富士も北尾根から攻める人もいるからね
伊予富士北尾根は行ってみたいと思いつつ
体力に自信ないから行ってない(^^;
桑瀬峠の北は、今度行った時に覗いてみようかな。。。
こんな感じで登山道があった?
探索に行きたいと思うけど、、、
藪漕ぎは嫌だ、、、
誰か行った事ある人いない?
現在の石鎚山
自分が石鎚山へ行った時の様子はコチラ
東稜はコチラ
記事の意図
コピペで記事作成の意図はありません
目的は保存、紹介ですが
問題があればコメント、またはお問合せからご連絡ください
必要であれば記事削除致します
コメントを投稿