四国の山なみ保存計画第四弾
古典山岳文献 四国の山山 の中から 石立山 を紹介します
第一弾はコチラ
ライトモードでご覧ください
文字の色、背景色等を変更して元の雰囲気を壊したくないので
古典山岳文献
四国の山山 ~ 石立山
土阿国境に跨る雄峰・石立山(一七〇八㍍)は、省営バスが落合駅までの開通によってクローズアップされてきた。
高知市からの日帰りは無理と思われる。
別府の宿舎で一泊し、翌朝出発するとよい。
コースは別府渓谷の本流から石立の沢登りの新ルートが面白い。
秋ならば紅葉につつまれた直登路を、大岩石の競い立つ間を縫って攀じ登る。
何ともいえぬ醍醐味である。
雨後の水量の多いときは、この沢はところどころ滝のような飛沫を浴び、左右に岩を渡りながらの登行となり、手ごわいものであるが、お天気続きで水流の枯れたときでも、足元に注意して登らねば大変である。
向かって右側の断崖をトラバースしながら巨岩に行路は阻まれている。
この左側の大岩壁には十㍍位の長さの、小さい鉄鎖が四㍍位直登して、右に斜めに巻いている。
白髪山から。
一見やさしく見えるが、四国で最も恐ろしい山
この沢の登路は、大体ここから渓の右側を縫っての直登である。
喘ぎながら五十分位で約三十㍍の滝のある大岩壁の下に来る。
尾根にとり着く寸前に、また十㍍くらいの鉄鎖が架かっていて、相当のスリルがある。
石立山は、大体、石灰岩で構成されているので、山頂までのこの尾根は文字通りの直登である。
脚下に別府の部落を見下ろしながら、三合目の〝矢凪の関″ という石灰岩の大露頭の痩せ尾根に着く。
このナイフリッジに似た石灰岩の尾根は、物凄い両側の紅葉の深い谷を眺望しながら、しばらく続いている。
所々にビャクシンの大木が生えている。
やっと尾根に別れて急なクマザサ地帯の登路へ入る。
やがて七合目辺りに着き、さらに森林地帯に入り、急登すれば、北方徳島県の渓谷へ下る道があるが、すぐ北の大岩壁を樹間に眺めながら南に下り、東方へ回り道して登ると、珍しいことに頂上付近のクマザサは、灰白色に枯れ伏して、ダケカンバの樹木の群落が見られて嬉しい。
この樹木はわずかに西方山系では筒上山、東方山系では剣山の一部にしか見られない。
この樹は一本で永遠に伐らないで、保育してもらいたい。
やがて石立山三角点である。
北西には綱付森、天狗塚、三嶺の山山が天空を突き、白髪山は指呼の間にある。
北から東には剣山へ縦走尾根が続いて眺望絶佳である。
降り路はガスでも巻いて来れば、クマザサ地帯で、徳島県側へ迷い込む恐れがあるから、尾根を見て右へ右へととって降りるように注意すべきであろう。
平らな道がやがてまた険しいガラガラ路となるので足元に注意しないと危ない。
高いクマザサの薮が続いて解放されると、樹林地帯に入って右の道標が尾根に続いて立っている。
尾根を詰めると左折して、南の急斜面の植林地帯を降り、四足堂を見下しながら、やっと部落の東端に出る頃は黄昏も近い。
(「四国山脈」より・昭和三十四年、高知県山岳連盟副会長 川島慶太郎)
少しでも読みやすくと思い改行を追加しています
改行以外は何も手を加えていません
感想
省営バス
土阿国境に跨る雄峰・石立山(一七〇八㍍)は、省営バスが落合駅までの開通によってクローズアップされてきた。
省営バス???
調べてみると鉄道省運輸局自動車課が運行していたのが省営バス
現在のJR、昭和ど真ん中世代で言えば国鉄です
高知市からの日帰りは無理と思われる。
別府の宿舎で一泊し、翌朝出発するとよい。
現在は日帰りが当たり前ですが、昔は日帰りは無理だったんですね
宿舎って言うのは、現在のべふ峡温泉の前身とも言える宿泊施設だったんだろうか?
べふ峡温泉の創業をググってみましたがヒットしませんでした。。。
恐ろしい山
一見やさしく見えるが、四国で最も恐ろしい山
これは今でもよく聞きますよね
確か四国で一番滑落死の多い山だったと思います
現在は恐ろしいという言い方ではなく『一番キツイ山』って言い方をされるのが一般的だと思います
昔に比べれば整備されて安全になったんでしょう
ダケカンバの樹木
この樹木はわずかに西方山系では筒上山、東方山系では剣山の一部にしか見られない。
この樹は一本で永遠に伐らないで、保育してもらいたい。
これ確認に行きたいな、、、
今はどうなっているんでしょう???
実は、、、
石立山、、、、
どうも足が向かないというか、キッカケがないというか、、、
まだ行った事がないんですよね
実際に石立山へ行ったら感想を追記します
まっ、『四国の山なみ』シリーズは保存が目的ですから(^^;
記事の意図
コピペで記事作成の意図はありません
目的は保存、紹介ですが
問題があればコメント、またはお問合せからご連絡ください
必要であれば記事削除致します
コメントを投稿