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四国の山なみ~山岳写真集/剣山山系

2024/05/03

四国の山なみ古典山岳文献の保存終了しましたが


引き続き山岳写真集の紹介・保存です


古典山岳文献の第一弾はコチラ

四国の山なみ~古典山岳文献/土佐の近代登山史 | Trekking from Kochi

四国の山なみ~古典山岳文献/土佐の近代登山史 | Trekking from Kochi

たまたま見つけた『四国の山なみ』ってサイトですが消えてしまう可能性があるので保存・紹介します


山岳写真集の第一弾はコチラ

四国の山なみ~山岳写真集/石鎚山系 | Trekking from Kochi

四国の山なみ~山岳写真集/石鎚山系 | Trekking from Kochi

『四国の山なみ』より山岳写真集、石鎚山系の保存・紹介


比較的新しい写真もあるので

アップされている写真全てではなく

個人的に選別して古い物を保存・紹介していきます

 ※四国の山なみシリーズは一部ダークモードに対応していない箇所があります。ライトモードでご覧ください。文字の色、背景色等を変更して元の雰囲気を壊したくないので。 

剣山

丸石から剣山方面を望む


左が剣山、右がジローギュ。

尾根筋が三嶺方面への縦走路。

深いクマササと襲来する虻で遂にグロッキー、進退ここに窮まった。

詳細は以下の「剣山決死の沢下り」昭和26年



剣山山頂


測候所から三角点を見る

三角点の右にわがキャンプのテントが見える。

昭和26年


三角点から測候所を見る



次郎笈(ジロウギュウ)

剣山から縦走路を行く 昭和26年

「何を見ても何を聞いても面白くも可笑しくないと云ったその風貌、

怒っているのか笑っているのか一つもわからない。

二でも三でも割りきれないところ、デモーニッシュな山。

そこに私は不可抗力にひきつけられるのだ」(北川淳一郎)




夫婦池


1446m。昭和26年



祖谷

祖谷渓

昭和26年



祖谷の子供達

昭和12年.。

察するに、右の男子は今(平成16年)73歳、

左の女子は71歳、

中央の男子は68歳くらいになっているか?



珍しい二本の蔓橋

度胸のある人(左の橋)、度胸のない人(右の橋)

県立第一高女生徒(現丸の内)ら

昭和12年



恐ろしい蔓橋

ニコニコと余裕をもって渡る。

度胸のある女学生

昭和12年




剣山決死の沢下り

昭和二十六年七月十九日から二十二日まで、三泊四日。 

友人と三人で剣山から三嶺の縦走を計画したが失敗。

結局、以下のコースとなった。 

 今、考えると誠に無謀な計画で、やはり若さゆえか。


高知駅―貞光駅―(バス)葛籠―(ここから徒歩)見の越大剣神社―剣山三角点(キャンプ)―次郎芨―丸石―沢下り―名頃付近(キャンプ)―久保―落出―平―善徳―一宇小学校(泊)―大歩危駅―高知駅


全体図

今から五十年余り前のことだから、あまり記憶が定かでない。

たまたま写真帳が残っており、上のコースは、これに記載されていたものである。

しかしこの「道なき沢下り」は、おぼろげながら記憶がある。

かなり厳しいインパクトであったからであろう


写真のように、十九日は剣山山頂の三角点横でキャンプを張った。



剣山から縦走路を行く。正面はジロウギュウ。

ここらの笹はまだ浅い


翌日は次郎芨を経て丸石付近まで行った。

写真では道筋が見えるが、実際そこを歩いてみると、道筋がはっきりしない上に、背丈より高い熊笹が生い茂っており、これを交代でかき分けながら汗だくになってのろのろ進むので、体力を著しく消耗した。

その上、虻が間断なく襲ってきて所嫌わず刺すので、丸石付近に来たときは三人ともグロッキーになってダウンしてしまった。

時間も午後に入り、文字通り「進退茲に窮まった」のである。

剣山からすでに四㌔弱歩いている。

先へ進むことは勿論、後へ退くこともできなくなってしまった。

水場はまだ先のようである。


丸石付近から縦走路と剣山(左)、ジロウギュウ(右)を望む


ここで地図を開いて善後策を相談したが、

こうなれば、ここから(一六〇〇㍍付近) 祖谷川を目指して車谷川沿いに道なき沢筋を標高差約六〇〇㍍直降下するしかないという結論になったのは止むを得ないことだった。

少しでも身軽になるため、必須の荷物以外は捨てたと思う。

しかし何を捨てたかは記憶にない。


赤線が沢下り想定ルート


赤線が沢下り想定ルート 赤ピンが丸石 青線が祖谷川

降下地点から二・三㌔北東、高度二九〇〇㍍から撮影(カシバード3D)


いよいよ沢下りだが、沢そのものの下りではなく、沢から離れないよう横目で見ながら、立木等に掴まり、或いは藪を捌いて只ひたすら下降した。

それ以外の記憶は全くない。

多分必死であったがため、それに集中したためであろう。

勿論、写真もない。

断崖等の障害物に遭遇しなかったのは幸いだった。

ようやく祖谷川に辿り着き、ここで直ちにキャンプを張った。


ところで、地図から沢下りの斜度を計算して見ると、丸石付近一六二六㍍から祖谷川の一〇四七㍍地点までの標高差五七九㍍、また同地点間の直線距離が一九〇〇㍍だから、三角関数の数式によって「十七度四十五分」とでた。

この平均斜度がきついか、そうでないかよくわからない。


 二十一日、現在の国道四三九号線を徒歩で土讃線大歩危駅を目指す。

当時、この道路にバスはなかったものと思われる。

なぜなら、あれば当然利用していたはずであるからである。

しかしこの車道をただひたすら歩くのは、まことに工夫のない話であるが、写真も撮っているので結構楽しみながら歩いたもののようである。


祖谷渓谷


当時の私共は大きい荷物を背負って歩くのは平気で、昭和二十四年の工石山登山では高知から往復をすべて歩いた。

また、石鎚山登山では、池川町から高台越を通り面河から登ったこともある。

このようなことは数多いが若かったし、当時の交通事情がよくなかったこともあって、「いっそのこと、歩いてしまえ」とばかりに歩きまくっていたのである。 


ところで、西祖谷山村の一宇に着いたところで夕刻となった。

約四十㌔を歩いている。

キャンプをどこで張るか、結局、小学校の講堂に宿泊することを許可してもらい久し振りに家の中で寝ることができることになった。

だがその喜びはすぐ無残にも砕かれた。

猛烈な蚊の襲来で、朝までほとんど眠れなかったのである。

翌日、ここから対岸の山道に入り、七八〇㍍の峠を越えてようやく土讃線大歩危駅に着き高知に帰った。

散々な目に会ったが、余り反省した記憶はないのである。

(平成十七年六月記)




古典山岳文献 ~ 剣山

四国の山なみ~古典山岳文献/剣山山系 | Trekking from Kochi

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『四国の山なみ』の古典山岳文献から剣山を紹介


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